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知るコレ!

明治維新後、行政に情熱 幕臣 今井信郎

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 江戸幕府(えどばくふ)の臣下(しんか)(幕臣)、今井信郎(いまいのぶお)を知っていますか。幕末(ばくまつ)の英雄(えいゆう)、坂本龍馬(さかもとりょうま)の殺害(さつがい)を自白した人物(じんぶつ)ですが、明治時代(めいじじだい)には行政(ぎょうせい)マンとして手腕(しゅわん)を振(ふ)るい、最近(さいきん)その功績(こうせき)に光を当てる市民団体(しみんだんたい)も発足(ほっそく)しました。きょう25日は今井の命日(めいにち)で、亡(な)くなってからちょうど100年目。謎(なぞ)多き剣豪(けんごう)に迫(せま)りました。 (美細津仁志(みさいづひとし))

◆「龍馬を斬った」見廻組の一人

 江戸幕府(えどばくふ)を倒(たお)すきっかけをつくった坂本龍馬(さかもとりょうま)は、今から150年前の1867(慶応(けいおう)3)年、潜伏先(せんぷくさき)の京都(きょうと)市内の商家近江屋(しょうかおうみや)2階(かい)で、何者(なにもの)かに斬(き)り殺(ころ)されました。実行犯(じっこうはん)と黒幕(くろまく)は誰(だれ)か−。今もさまざまな臆測(おくそく)が飛(と)び交(か)いますが、70(明治(めいじ)3)年、京都の治安(ちあん)を守(まも)るため幕臣(ばくしん)でつくられた警察(けいさつ)「京都見廻組(みまわりぐみ)」の隊士(たいし)だった今井信郎(いまいのぶお)が殺害(さつがい)に加(くわ)わったことを認(みと)めました。

 龍馬は前年、伏見奉行所(ふしみぶぎょうしょ)の追(お)っ手をピストルで射殺(しゃさつ)。幕末(ばくまつ)と明治維新(いしん)に詳(くわ)しい霊山歴史館(りょうぜんれきしかん)(京都市)の木村武仁学芸課長(きむらたけひとがくげいかちょう)(44)は「龍馬にとっては正当防衛(ぼうえい)でしたが、幕府には警官殺(けいかんごろ)しの指名手配犯(しめいてはいはん)でした」。見廻組には「抵抗(ていこう)するなら殺してもいい」という命令(めいれい)が出ていたといいます。

 今井家に伝(つた)わる話を、ひ孫(まご)で、東京都内(とうきょうとない)で都市計画コンサルタント会社を営(いとな)む今井晴彦(はるひこ)さん(73)が語ります。「7人でくじ引きし、斬り込(こ)む順番(じゅんばん)を決(き)めることになった。ひいおじいさんは3番目。腕(うで)が良(よ)いので腹(はら)を立て、もう一度(いちど)くじをやり直し、一番になったと聞いています」

 今井らは近江屋の2階へ進(すす)むと「才谷(さいたに)先生お久しぶりです」と龍馬の別名(べつめい)で呼(よ)び掛(か)けます。すると、部屋にいた一人があごを触(さわ)りながら「ん、どなたでしたか」と答えたので、「横殴(よこなぐ)りに斬りつけた」。

 龍馬は34カ所を斬られました。木村さんは「部屋の中は暗(くら)かった上、龍馬は厚着(あつぎ)をしていたので、今となっては誰がどこを斬ったか分からない」と話します。

 今井は41年、江戸・徳川(とくがわ)家の家臣の家に生まれ、20歳(はたち)で剣術(けんじゅつ)の達人(たつじん)と認められます。新政府軍(しんせいふぐん)との戊辰戦争(ぼしんせんそう)を戦(たたか)って北上し、五稜郭(ごりょうかく)(北海道函館(ほっかいどうはこだて)市)で降伏(こうふく)。裁判(さいばん)で禁錮刑(きんこけい)の判決(はんけつ)が下され静岡藩預(しずおかはんあず)かりの身(み)となりました。

 ただ、2年足らずで刑が免除(めんじょ)に。明治維新の立役者(たてやくしゃ)で、戊辰戦争での敗者(はいしゃ)に寛大(かんだい)な処置(しょち)を施(ほどこ)した西郷隆盛(さいごうたかもり)の働(はたら)き掛けがあったといわれます。

 「恩義(おんぎ)を感(かん)じていたのでしょう」と晴彦さん。当時静岡藩領(りょう)だった八丈島(はちじょうじま)で役人になった今井は、77年、西郷ら士族(しぞく)が鹿児島(かごしま)で新政府に反乱(はんらん)し「西南(せいなん)戦争」を始(はじ)めたと聞くと、役人を辞職(じしょく)。西郷軍への加勢(かせい)を試(こころ)みました。

 でも、今井は西郷の死(し)に武士(ぶし)の世(よ)の終(お)わりを悟(さと)ったのでしょう。翌年(よくねん)、明治維新で生きるすべを失(うしな)った徳川家の家臣団(だん)に少し遅(おく)れて、静岡県島田(けんしまだ)市南部(なんぶ)の初倉地区(はつくらちく)に移住(いじゅう)。農業指導者(のうぎょうしどうしゃ)の道を歩み始めます。県庁(けんちょう)に農業政策(せいさく)の意見書(いけんしょ)を出したり、新しい農業技術(ぎじゅつ)を学んでは地元で広めたりしました。旧(きゅう)初倉村の村会議員(ぎいん)や村長も務(つと)め、地元、榛原(はいばら)高校の前身(ぜんしん)の中学校の創立(そうりつ)にも関(かか)わりました。

◆農業や教育面で郷土に尽くす

 今井(いまい)が76歳(さい)で亡(な)くなるまで40年間住(す)んだ屋敷跡(やしきあと)に、地元の有志(ゆうし)が14年前に建(た)てた大きな石碑(せきひ)があります。住民(じゅうみん)は今井の情熱(じょうねつ)を後世(こうせい)に伝(つた)えるため、昨年(さくねん)12月、NPO法人(エヌピーオーほうじん)「初倉(はつくら)まほろばの会」を結成(けっせい)。今年は屋敷跡にベンチや散策路(さんさくろ)も整備(せいび)します。地元の中学生にも人となりを伝えていく計画です。

 法人理事長(りじちょう)で、地元郷土史家(きょうどしか)の塚本昭一(つかもとしょういち)さん(81)は百回忌(かいき)に合わせて過去(かこ)の著書(ちょしょ)を再編集(さいへんしゅう)した「白雲(はくうん)の魁(さきがけ)」を自費出版(じひしゅっぱん)。「龍馬(りょうま)の件(けん)でテロリストとも呼(よ)ばれますが、今井の真(しん)の評価(ひょうか)は農業(のうぎょう)や教育面(きょういくめん)で郷土に尽(つ)くした後半生にこそある」と語ります。

 立場が変(か)われば、歴史(れきし)も違(ちが)って見えます。

 

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