トップ > 特集・連載 > 知るコレ! > 記事一覧 > 記事

ここから本文

知るコレ!

禁じられ民俗信仰に 潜伏キリシタン

先祖(せんぞ)から伝(つた)わる「お宝(たから)」を広げ、バスチャンの木を持(も)つ村上(むらかみ)さん=長崎(ながさき)市で

写真

 日本にある国連教育科学文化機関(こくれんきょういくかがくぶんかきかん)(ユネスコ)の世界遺産(せかいいさん)をいくつ言えますか。来年夏に、新たに長崎(ながさき)市の大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)など12の文化財(ぶんかざい)からなる「長崎と天草(あまくさ)地方の潜伏(せんぷく)キリシタン関連(かんれん)遺産」が加(くわ)わりそうです。でも潜伏キリシタンって聞き慣(な)れませんね。調(しら)べてみました。 (美細津仁志(みさいづひとし))

 「天にましますわれらが御親(おんおや)」−。昨年(さくねん)十月、南山(なんざん)大(名古屋(なごや)市昭和区(しょうわく))で開(ひら)かれたキリスト教の市民向(しみんむ)け講演会(こうえんかい)で、長崎(ながさき)市から迎(むか)えられた村上茂則(むらかみしげのり)さん(67)がお祈(いの)りを披露(ひろう)しました。「オラショ」と呼(よ)ばれ、ポルトガル語などが元になっています。「約(やく)四百年前の潜伏(せんぷく)キリシタンから口伝(くちづた)えで受(う)け継(つ)いできました」と村上さん。名刺(めいし)の肩書(かたがき)に「かくれキリシタン」と書かれていました。

 「キリシタン」はキリスト教徒(きょうと)の意味(いみ)。では、「潜伏」と「かくれ」の違(ちが)いは−。南山大国際教養学部(こくさいきょうようがくぶ)のムンシ・ロジェ・バンジラ准教授(じゅんきょうじゅ)(49)=文化人類(ぶんかじんるい)学=は「元をたとれば同じ人たちです。研究者(けんきゅうしゃ)の間で用いられてきた学術(がくじゅつ)用語で、より正確(せいかく)に伝えるため時代(じだい)ごとに使(つか)い分けています」と話します。

 日本にキリスト教が伝えられたのは一五四九年。スペインの宣教師(せんきょうし)、フランシスコ・ザビエルを通じて民衆(みんしゅう)に広まりました。一六一四年には、その勢力(せいりょく)を恐(おそ)れた江戸幕府(えどばくふ)がキリスト教の禁教令(きんきょうれい)を出します。信者(しんじゃ)かどうかを「踏(ふ)み絵」で試(ため)され、命(いのち)を落(お)とした人もいました。この時代の信者を潜伏キリシタンと呼びます。

 キリシタン信仰(しんこう)は地域(ちいき)の風習(ふうしゅう)や仏教(ぶっきょう)、神道(しんとう)と交わりながらひそやかに人々に受け継がれます。明治(めいじ)時代の一八七三年、政府(せいふ)がキリスト教を認(みと)めます。それ以降(いこう)の、先祖(せんぞ)が信じてきたキリシタン信仰を持(も)ち続(つづ)ける人を、かくれキリシタンと言います。「隠(かく)れ」「カクレ」と書く研究者もいます。

 潜伏キリシタンを「世界(せかい)の宝(たから)」ととらえたのは、世界遺産(いさん)の調査(ちょうさ)をする国際記念物遺跡会議(きねんぶついせきかいぎ)(イコモス)でした。昨年一月、長崎県内(けんない)の教会建築(けんちく)を世界遺産にしようとしていた日本政府に、「日本にしかない禁教期(き)に焦点(しょうてん)を」と助言(じょげん)。名称(めいしょう)にも入れるよう求(もと)めました。

 潜伏(せんぷく)やかくれの文化(ぶんか)を探(さが)しに、長崎(ながさき)市外海地区(そとめちく)に村上(むらかみ)さんを訪(たず)ねました。二カ所(しょ)に「潜伏キリシタン関連遺産(かんれんいさん)」の文化財(ざい)がある地区で、作家遠藤周作(えんどうしゅうさく)さんが禁教期(きんきょうき)を描(えが)いた小説(しょうせつ)「沈黙(ちんもく)」の舞台(ぶたい)でもあります。

 村上さんの家は黒崎(くろさき)という集落(しゅうらく)にあり、近隣(きんりん)の「かくれ」世帯(せたい)の二十五戸をまとめる「帳方(ちょうかた)」を務(つと)めています。自宅(じたく)での祝(いわ)い事(ごと)や葬儀(そうぎ)、洗礼(せんれい)などに出掛(でか)けて、オラショを唱(とな)えます。

 どんなことを祈(いの)るのでしょう。村上さんは「イエス・キリストではなく、聖母(せいぼ)マリアに見立てた観音像(かんのんぞう)に先祖(せんぞ)の冥福(めいふく)を祈ります」と説明します。長崎純心(じゅんしん)大の宮崎賢太郎客員教授(みやざきけんたろうきゃくいんきょうじゅ)(66)は「潜伏時代(じだい)からキリスト教とはかけ離(はな)れていました。今の信仰(しんこう)も日本独自(どくじ)の土着(どちゃく)の民俗(みんぞく)信仰と言えます」と指摘(してき)します。

 先祖から受(う)け継(つ)いだ宝物(たからもの)を見せてもらいました。三百五十年ほど前の禁教期、外海地区で布教活動(ふきょうかつどう)をして幕府(ばくふ)に殺(ころ)された日本人伝道師(でんどうし)バスチャンが、十字架(じゅうじか)を彫(ほ)ったツバキの木の枝(えだ)の一部(いちぶ)です。仲間(なかま)が亡(な)くなると、この枝を薄(うす)く削(けず)ってひつぎに納(おさ)め、冥福を祈ってきました。「あの世(よ)へのお土産(みやげ)です」。長かった枝は、もう五センチもありません。

 外海地区は高齢化(こうれいか)や過疎(かそ)化が進(すす)み、今は二つしかない「かくれ」の組織(そしき)は、バスチャンの十字架の木のように先細りしています。村上さんは「かくれが信仰を続(つづ)けてこそ潜伏の文化を証明(しょうめい)できる。世界(せかい)遺産もいいが、かくれの文化にも光を当ててほしいです」と望(のぞ)みます。

写真
 

この記事を印刷する

新聞購読のご案内

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索