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知るコレ!

台湾と日本互いに親しみ

看板(かんばん)に「の」が入ったワッフルの屋台(やたい)=台湾(たいわん)で(青木由香(あおきゆか)さん提供(ていきょう))

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 卓球(たっきゅう)の福原愛選手(ふくはらあいせんしゅ)が国際結婚(こくさいけっこん)をしました。最近(さいきん)、台湾(たいわん)に関係(かんけい)したニュースがよく話題(わだい)に上ります。日本と台湾は、距離(きょり)の近さなどからお互(たが)いに親しみを覚(おぼ)える人も少なくありません。身近(みぢか)な台湾を調(しら)べてみました。  (美細津仁志(みさいづひとし))

〔1〕看板の字

 漢字(かんじ)に交じって平仮名(ひらがな)「の」が見えますね。台湾(たいわん)に住(す)んで10数年のエッセイスト青木由香(あおきゆか)さん(44)が9月、中心都市(とし)の台北(タイペイ)市内の夜市で撮影(さつえい)した看板(かんばん)です。近くの屋台(やたい)の看板にも「の」の字が使(つか)われていたそうです。

 台湾ではこの10年で、中国語の「的(てき)」を「の」に置(お)き換(か)えた商品(しょうひん)や看板をよく見掛(みか)けるようになりました。

 青木さんによると、「の」は「的」と同じ意味(いみ)で、画数がより少ないため広まりました。漢字に平仮名が交じると高品質(こうひんしつ)な日本製(せい)のイメージになるといいます。

 「の」よりも古くから定着(ていちゃく)している日本語はたくさんあります。台湾は日清戦争(にっしんせんそう)が終(お)わった1895年から第(だい)二次世界大戦(じせかいたいせん)が終結(しゅうけつ)する1945年までの50年間、日本の植民地(しょくみんち)でした。この間、道路(どうろ)や医療(いりょう)、教育(きょういく)などが整備(せいび)され、日本の文化(ぶんか)や言葉(ことば)も伝(つた)えられました。例(たと)えば欧吉桑(オジサン)、欧巴桑(オバサン)、甜不辣(テンプラ)などは日本の発音(はつおん)に合わせて漢字を当てています。今も暮(く)らしの中で使われています。

〔2〕民間交流

 1945年の終戦(しゅうせん)後、中国大陸(ちゅうごくたいりく)で、政治家●介石率(せいじかしょうかいせきひき)いる国民党(こくみんとう)と、政治家毛沢東(もうたくとう)を柱(はしら)とする共産(きょうさん)党の激(はげ)しい内戦が始(はじ)まりました。49年に共産党が中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)(今の中国)をつくると、内戦で敗(やぶ)れた国民党が海を越(こ)えて台湾島(たいわんとう)に逃(のが)れ、「中華民国」として支配(しはい)します。今の台湾の始まりです。

 台湾と中国は「うちこそが中国」と対立(たいりつ)。日本は72年、大陸を支配する中国を国として認(みと)めると、戦後続(つづ)いていた台湾との国交を打(う)ち切りました。今も台湾を国とは認めていません。

 一方、民間の交流(こうりゅう)はビジネスや観光(かんこう)を中心に年々拡大(かくだい)しました。昨年(さくねん)に日本を訪(おとず)れた台湾人観光客(きゃく)は過去最高(かこさいこう)の368万人。台湾人1000人を対象(たいしょう)にした調査(ちょうさ)で「最(もっと)も好(す)きな国」を尋(たず)ねると、「日本」が56%。5回連続(れんぞく)の1位(い)です。

 なぜ台湾は日本を好きなのでしょうか。

 台湾の近現代史(きんげんだいし)に詳(くわ)しい愛知(あいち)大現代中国学部(がくぶ)の黄英哲教授(こうえいてつきょうじゅ)(60)は「台湾は昔(むかし)、日本を通じてヨーロッパの新しい文化(ぶんか)に触(ふ)れました。このため日本に親しみを覚(おぼ)えるのです」と分析(ぶんせき)します。国交のない日台関係(かんけい)については「例(たと)えるなら、役所(やくしょ)に婚姻届(こんいんとどけ)を出さずに一緒(いっしょ)に暮(く)らす事実婚(じじつこん)のようなもの。実社会(じっしゃかい)で結婚(けっこん)の形が多様化(たようか)しているように、相思相愛(そうしそうあい)でうまくいっているなら大きな問題(もんだい)ではない」と話しました。

〔3〕名物料理

 身近(みぢか)な台湾(たいわん)を探(さが)すと、名古屋(なごや)市のJR(ジェイアール)セントラルタワーズに見つけました。1993年、アメリカの新聞「ニューヨーク・タイムズ」が選(えら)んだ世界(せかい)の10大レストランの1つで、台北(タイペイ)市に本店のあるレストラン「鼎泰豊(ディンタイフォン)」です。熱々(あつあつ)で肉汁(にくじゅう)あふれる小籠包(しょうろんぽう)が名物(めいぶつ)です。

 小籠包を手際(てぎわ)よく包(つつ)む様子(ようす)を自由(じゆう)にガラス越(ご)しに見学できます。本場の味(あじ)を保(たも)つため、社員(しゃいん)は少なくとも1回は台湾で研修(けんしゅう)を受(う)けます。さらに年に2回は、東京(とうきょう)や大阪(おおさか)にいる台湾人の職人(しょくにん)から手ほどきを受けています。

 激辛(げきから)味で人気の「台湾ラーメン」はどうでしょうか。実(じつ)は名古屋市千種区(ちくさく)の台湾料理(りょうり)店「味仙(みせん)」で生まれました。台湾出身(しゅっしん)の店主(てんしゅ)、郭明優(かくめいゆう)さん(76)が50年ほど前、台湾で食べた担仔麺(タンツーめん)を基(もと)に発案(はつあん)しました。特徴的(とくちょうてき)なひき肉はそのままに、トウガラシやニンニクで風味付(ふうみづ)けしています。

 店を切り盛(も)りする妻(つま)の美英(みえ)さん(67)によると、台湾の新聞で「台湾にはない台湾ラーメン」と紹介(しょうかい)されたこともあります。美英さんは「いつか東京や台湾に直営(ちょくえい)店を出し、台湾の方にも味わってもらいたいです」と話しています。

●はくさかんむりに将の旧字体

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