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試練のとき

おぼろタオル 加藤勘次社長(62) (下)

今年完成した「おぼろ百年の極」を前に、これまでの経緯を語る加藤社長=津市上浜町のおぼろタオルで

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◆独自商品、再建を後押し

 「これはもう、さすがに死んでしまう」。加藤勘次(62)は、ようやく重い腰を上げた。向かったのは病院の診察室。二〇一二年八月、直腸がんを宣告された。

 ショックはなかった。一年前から下血を繰り返し、発症は確信していた。腫瘍は便が通らなくなるまでに大きくなっており、すぐに緊急手術を受けた。「怖がりやったんや。よう行かんかった」と加藤は振り返る。が、病に倒れるわけにはいかない事情があった。

 〇五年、老舗メーカー「おぼろタオル」(津市上浜町)の社長に就任後は苦難の連続で「自分がどれだけ役に立っているかは分からない。でも、船頭役がいなくなる状態は避けたかった」。そう思ってしまうだけの数々の修羅場に身を置いてきたからだ。

 社長就任時、安い海外産の台頭で売り上げは落ち込み、ピークのバブル期の三分の一になっていた。追い打ちを掛けるように、売り上げの四分の一を占める問屋が倒産する見通しとなった。

 このままでは大量の不良在庫を抱え、損害は計り知れない。資金繰りをしながら、在庫の受け入れ先を探した。「なんでこんなことをしとるんやろ」。神経がすり減り、むなしさが募った。

 後始末のような作業を乗り切りながら、開発していたのが高級タオル「エアーかおる」だった。浅野撚糸(ねんし)(岐阜県安八町)が開発した特殊な糸を高い技術力で製品化し、〇七年に発売にこぎ着けた。

昭和10年ごろの工場の様子=おぼろタオル提供

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 ただ、当時の経済状況はデフレ真っただ中。百円均一でもタオルが売られる中、一枚千円の「エアーかおる」は当初、見向きもされなかった。それでも、企業が商品を披露する展示会などで地道に品質の良さを伝えた。今治タオルなどの国産品が見直される動きも追い風となり、徐々に愛用者が増え、ヒット商品となった。

 「高くてもいいもんであれば、受け入れられる市場はあるんやな」。加藤の中で目指す方向が見えた。ガーゼ地とタオル地を折り合わせたガーゼタオルなど、独自性のある商品を展開してきたおぼろタオル。原点に立ち返り、オリジナル商品の開発に力を入れた。

 一九〇八(明治四十一)年の創業から百年余り。培った技術を結集させたタオルが、今年ついに完成した。細い糸で軽さとボリューム感を両立させ、風呂上がりの体を優しく包み、水滴をすっと吸い取ってくれる。名前は「おぼろ百年の極(きわみ)」。次の百年にもつながる一枚に、との願いも込めた。

 加藤は今年八月、がん宣告から五年を迎えた。抗がん剤治療を乗り越え、再発や転移も見つかっていない。自身と同じく再出発を図ったおぼろタオルも、年間四億円を切っていた売り上げが七億円まで持ち直した。

 加藤はこの状況に安心はしていない。「まだまだ胸を張れるような労働条件でもない。ようやくスタートラインに立っただけ」。試練のときは、まだ終わっていない。

 (吉川翔大)

 =敬称略

 <かとう・かんじ> 1954年、松阪市出身。下請けではなく完成品を手掛けるメーカーである点に魅力を感じ、82年におぼろタオルに入社。大学では会計学を専攻し、人事や経理、総務などの部署を経験した。2005年から社長。

 

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