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試練のとき

赤福 浜田益嗣名誉顧問(80) (上)

赤福本店前に座る浜田益嗣さん=伊勢市で

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◆営業禁止を糧に原点回帰

 一本の電話が、伊勢を代表する老舗企業を大きく揺さぶる事件の始まりだった。

 「赤福が製造年月日を偽装している」−。二〇〇七年八月に一報を受けた東海農政局は九〜十月、伊勢市朝熊町にある同社工場の調査に乗り出した。

 主力製品である赤福餅の製造日の表示について、作った時点ではなく、冷凍保存していた完成品を解凍した時点としていた点が問題とされた。十月十二日、日本農林規格(JAS)法違反に当たるとして、改善を求める行政指導を受けた。

 当時、七十歳で赤福の会長だった浜田益嗣(80)は、行政の取り調べを見守っていた。「(製造日の付け方は)私も知っていた。そのころは、そんなに重いことだと考えていなかった。会社の物差しが、役所が求めるものとずれてしまっていたのだろう」

 問題はさらに広がりを見せた。表示にとどまらず、食品の衛生面も問われる事実が明らかになっていった。

 店頭で売れ残ったものを、製造日を付け替えて「新品」と称して販売していた−。売れ残りの赤福餅から、あんや餅をむいて再利用した−。

赤福会長を退任すると発表した記者会見=2007年11月、伊勢市の県営サンアリーナでで

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 消費者を裏切るような不正が、日常的に行われていたことが判明していった。十月十九日、食品衛生法に違反しているとして、改善が図られるまで無期限の営業禁止処分が下った。

 当時社長だった長男の典保(55)とともに釈明に追われた益嗣は、責任を取ることを決断した。四十年にわたり率いてきた赤福の会長を退いた。

 〇八年の正月は、営業禁止のまま迎えた。初詣客が行き交う赤福の本店前に立ったことを、益嗣は覚えている。「客が前を通るのに店を閉めているのは、本当に嫌な気持ちだった。家業がこんなことになり、お客さま、ご先祖さまに申し訳なかった」。二月六日に再開にこぎ着けるまで、試練の日が続いた。

 工場に冷凍設備を導入した一九七三年ごろから不正が始まったことが、農政局や保健所の調査で分かった。製造や販売の責任者だった幹部社員らが中心となり、完成品を冷凍し、違法な製造日の付け方を取り入れたのが始まりだった。

 「赤福餅を作って、運んで、売るという単純な商売の中に、この幹部らが変な意味での効率を入れてしまった。(あんや餅の再利用は)だんだんと楽な方に流れていった結果だったんでしょう」

 改善策は、原点に返ることだった。赤福餅の完成品を冷凍するのは完全にやめた。文字どおり「その日つくったものを、その日のうちに売る」という商いに立ち戻った。

 「赤福には根強い支持者がいる」と益嗣が言うように、営業再開後の業績回復は早かった。伊勢神宮への参拝者数が史上最高の千四百万人を記録した一三年の式年遷宮を経て、“みそぎ”も済ませた感がある。年間の売上高は百二十億円に上り、そのうち利益は二十億円という堅実経営を取り戻した。

 現在、一九年夏の操業を目指し、赤福餅の新工場の建設プロジェクトが伊勢市内で始まっている。数十億円を投じる計画。南海トラフ地震に備えて地盤の強い場所への移転を主な目的としているが、衛生や安全の面にも配慮する。そこには、〇七年の営業禁止処分から得た反省も、反映される。

 (敬称略)

    ◇

 県内を代表する菓子企業「赤福」(伊勢市)。四〜五月のお伊勢さん菓子博の開催に当たっても、大きな役割を演じた。一七〇七(宝永四)年創業の老舗を長く率いた浜田益嗣さんが直面した試練を、三回に分けて紹介する。

 (大島康介)

 <はまだ・ますたね> 赤福名誉顧問、浜田総業会長。1937(昭和12)年5月生まれ、60年慶応大経済学部卒。赤福では10代目当主として、68〜2005年に社長、05〜07年と11〜15年に会長を務めた。伊勢商工会議所では1995〜2007年に会頭。

 

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