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試練のとき

宮崎本店 宮崎由至社長(69) (下)

宮崎由至社長

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◆キンミヤ焼酎でも挑戦

 大吟醸のブランドを足掛かりに、清酒「宮の雪」を三重の地酒に育て上げた宮崎本店(四日市市楠町)。出荷量の四分の三を占めるもう一つの看板商品・キンミヤ焼酎(正式名・亀甲宮(きっこうみや)焼酎)でも、社長の宮崎由至(69)は、品質で選ばれる戦いを挑んだ。

 「飲み比べてみて」。焼酎の消費が低迷し、宮崎本店でも売り上げが落ち続けた二〇〇〇年代前半。取引先に連れられ、キンミヤ焼酎を扱う都心の居酒屋を訪れた宮崎に、店主が杯を勧めた。

 テーブルに他社の焼酎でつくった酎ハイと、キンミヤで割った酎ハイ。二つのグラスの見た目は変わらない。他社のはアルコール臭が鼻につき、口に含むとぴりぴりする。それがキンミヤにはない。「口当たりが柔らかい。明らかに味が違う」

 宮崎本店がある楠町は、鈴鹿山系の伏流水が豊富でサツマイモ栽培が盛んだったため、古くから焼酎の産地。宮崎本店も江戸時代の創業期から、清酒と同時に焼酎を製造。四日市の海運を生かし、関東に販路を拡大した。

 キンミヤが東京近郊に根付いたきっかけは、一九二三年の関東大震災。当時の社長が東京の取引先に、酒の代金回収を遅らせて救援物資を送り、ひいきの酒屋が増えたからだ。

 キンミヤは酎ハイをつくるために純度を高め、雑味を無くした焼酎。他社も同種の製品を販売しており、宮崎は「他社と大差のない酒」だと思っていた。

 だが、都心の居酒屋で同じ条件でつくった酎ハイの味が、まったく違う。別の店を訪れると、常連客に「あんた社長なのに知らないで売ってるの。俺たちキンミヤでしか飲まないよ」と笑われた。

2009年、ベルギーで現地のソムリエと商談する宮崎社長(左)=ブリュッセルで(宮崎由至社長提供)

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 その差は何なのか。蒸留したキンミヤのアルコール度数を一定に保つために、鈴鹿川の伏流水で薄める製法が鍵だった。ミネラル分がほとんどない超軟水で、口当たりがまろやかになるのだ。「どのメーカーも同じだと思い込んで造っていた。恥ずかしかった」

 酎ハイブームが過ぎた九〇年代以降、キンミヤのような酎ハイ用の焼酎を選ぶ際の決め手は価格。大手酒造会社の攻勢で、宮崎本店も不毛な価格競争で消耗していた。

 だが、品質で売れる酒だと、笑われた常連客に教えられたのだ。キンミヤは「安価な酎ハイの原料」という考え方を改めた。「どうやったらキンミヤを選んでくれるのか」

 二〇〇一年、それまでの十八リットルや四リットルなどの大型容器で店に出すと別のグラスで飲む客に銘柄が伝わらないため、三百ミリリットルなど銘柄入りの小瓶を飲食店に出すように。小瓶はそのまま客に提供され、キンミヤブランドが目に飛び込むようになった。

 だが、小分けにすることで価格は割高となり、取引先は「値段が高すぎる」と反発。量販店の棚からキンミヤが消えた。売り上げは激減したが、宮崎は「中途半端にできない。自分だけはしっかり構えよう」と腹をくくり、社員を励まし続けた。販売先を卸業者や量販店から、パブやバーも含めた小口の飲食店に移行。店主に味の良さを粘り強く訴えた。

 キンミヤの評判は口コミで広まり、注文する客が増えた。少量から注文できる小瓶を売り込んだことで、取り扱う飲食店は全国で三千店を超え、販売する酒の約七割を占める主力製品に成長した。

 顧客に教えられた味を信じ、ブランドを前面に押し出す宮崎の販売戦略が商機をつかんだ。「宮の雪」と「キンミヤ」はベルギーなど世界十八カ国にも販路が広がった。

 (敬称略)

 (松崎晃子)

 <宮崎本店> 江戸時代後期の1846(弘化3)年、四日市市楠町で創業。1951(昭和26)年に株式会社に。ベルギーの国際品質評価「モンドセレクション」で34年連続で受賞している。売上高は43億円(昨年9月期)。従業員は66人(4月1日現在)。

 

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