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試練のとき

イオン名誉会長相談役 岡田卓也さん(91)−4−

◆ジャスコ 合併こそ未来

1968年5月1日、フタギとの提携発表に臨む岡田屋の岡田卓也社長(中)。右隣はフタギの二木一一社長。ジャスコはこの後誕生し、流通業界の再編が加速した=大阪府で(イオン提供)

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 降り積もる雪を溶かすような熱気が、神奈川・箱根の温泉街を包む。全国から二千人を超す小売業者が毎年二月、商業専門誌の出版社「商業界」(東京)主催のゼミナールに集った。

 同社を創業した一人、倉本長治(故人)は戦後の荒廃した闇市の現状を嘆き、道徳的な商売のあり方を模索。その思想に共鳴した全国の店主らがゼミで親交を深め、小売業の地位向上を目指して研さんを積んだ。

 「お客さんのために店はあるんだ」。愛知県豊橋市の衣料品店「伊勢屋」会長の服部唯男(78)は、一九六五(昭和四十)年ごろのゼミで熱弁する岡田屋社長、岡田卓也の姿を覚えている。

 このゼミで、岡田は運命の男と出会った。兵庫県でスーパー「フタギ」を展開する二木一一(かずいち)(故人)。誠実な人柄にひかれた。米国視察で会社の規模拡大の重要さに気付いた岡田。六七年、東洋レーヨン(現・東レ)が主催した勉強会で、隣に座った二木に、自筆の紙切れをそっと手渡す。

 「合併」

 「どこと?」。二木が聞き返す。

 「おたくと」

 この二人のやりとりが、日本を代表する総合スーパーが生まれるきっかけになった。

 「オカダヤ、フタギと業務提携へ 合併前提に来春から」

 六八年五月一日。ベトナム戦争が紙面をにぎわす新聞に、こんな見出しが躍った。「載っとるやないか」。この日の朝、名古屋駅で中日新聞を買った岡田は仰天する。午後に大阪で自分が記者会見する内容が記事になっていたからだ。メディアが速報を競うほど、業界再編につながる両社の動向は耳目を集めていた。

ジャスコから社名を変え、約300のグループ会社を擁するイオン本社「イオンタワー」=千葉市美浜区で

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 「新しく参加される同志を平等に迎える」。この日の調印式で交わした覚書で高らかに宣言した岡田と二木。両者に大阪のスーパー「シロ」が合流し、総合スーパー「ジャスコ」が誕生した。

 このころ、岡田は北海道から九州まで地域の繁盛店を訪ね、ジャスコへの参加を呼び掛けている。「声を掛けて一緒にならなかったところは今、ほとんど存続していない」。岡田は業界の現実を冷徹に見つめる。

 かつて、四日市に本社のあった三重紡績が大阪紡績と合併し、戦前、世界最大規模の紡績会社となった「東洋紡績」(現・東洋紡)が生まれた。故郷の歴史から学んだという岡田。「企業の歴史は合併の歴史だ」。その信念は揺るがない。(敬称略)

(池内琢)

 <ジャスコ(現・イオン)> 四日市市が地盤の岡田屋と、関西のフタギ、シロの三つのスーパーが前身。1969年3社でジャスコ設立。社内公募した社名は「ジャパン・ユナイテッド・ストアーズ・カンパニー」(日本小売業連合)の頭文字(JUSCO)から取った。2001年、ラテン語で永遠を意味する「イオン」に社名を変更した。グループの子会社はスーパー「ダイエー」やコンビニの「ミニストップ」、三重県を中心とする「マックスバリュ中部」など約300社。16年2月期の連結売上高は8兆1767億円。従業員は52万人(16年2月末現在)。

 

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