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試練のとき

イオン名誉会長相談役 岡田卓也さん(91)−3−

◆「小売りは雑魚」に反発

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 地元財界の重鎮が集う四日市商工会議所の会議は、いつになく重苦しい空気に包まれていた。一九五四(昭和二十九)年。二十九歳で同商議所の商業部会長に選ばれた岡田屋呉服店社長の岡田卓也が、議員改選の席上で「商業関係者を十人立候補させる」と発言したことが発端だった。

 当時の四日市商議所は、五十五人の議員の大半を紡績や油脂関連の企業の代表が務め、小売業は岡田を含めて二人だけ。商業関係者を増やそうと選挙を提案したが、議員の選出は部会長同士の話し合いで決めるのが慣例。老練な議員の視線は冷ややかだった。

 「岡田君、小売りなんて雑魚(ざこ)やないか」。この時、副会頭から浴びせられた言葉に、怒りが込み上げた。「ふざけるな。小売りは雑魚なんかじゃない」。反発するとともに、商業が工業などに比べて社会で軽視されている現実を見せつけられた。

 会議は紛糾したが、岡田を目に掛けていた会頭で、戦時中、世界最大規模の紡績会社・東洋紡績の会長も務めた伊藤伝七(故人)がとりなし、商業関係者は結局、十人が議員になれた。岡田は「小売業を近代化する重要さを、この雑魚発言で考えるようになった」と回想する。

 小売業の地位向上を目指す岡田の願いは五九年、商業専門誌の出版社「商業界」(東京)が企画した米国視察旅行に参加することで具体化した。

1959年、米国で大型商業施設などを視察した岡田卓也さん

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 当時は羽田空港から米西海岸のサンフランシスコまで、プロペラ機で三十二時間の旅。一ドル=三百六十円の固定相場制で、外貨の持ち出しも一回五百ドルまでという制限があった。安宿を転々とし、米国各地の商業施設を見て歩く一カ月は、驚きと発見の連続だった。

 マイカーがあふれる米国。道路のインターチェンジの構造は複雑で迷うほど。大手食品スーパーの駐車場には、買い物客の車が列をなす。当時、米国最大の小売業「シアーズ・ローバック」は、年間の売り上げが日本の国家予算に匹敵する巨大企業だった。

 「日本にも必ずモータリゼーション(車社会)が来る。小売業の近代化には、大規模な店のチェーン展開が不可欠だ」

 米国視察で全国規模の店舗展開に確信を深めた岡田。屈辱の「雑魚発言」から五年が過ぎていた。(敬称略)

(池内琢)

 

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