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長寿しなの 彩食記

<第7部 癒やす自然の恵み> (12)山塩

井戸で塩水をくみ上げる平瀬さん=大鹿村の山塩館で

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 「しょっぱい! どうして?」−。大鹿村を舞台にした二〇一一年公開の映画「大鹿村騒動記」の冒頭、同村鹿塩温泉の湯につかった登場人物の風祭貴子が、こうささやく。

 ナトリウムやカルシウムを含んだこの温泉水は、海水より塩分濃度がやや高い約4%。不純物が少なく透明な水を煮詰めた「山塩(やましお)」が造られ、村の特産品にもなっている。

 山塩造りを始めたのは、温泉旅館山塩館四代目で「塩じい」こと平瀬長安(ひらせながやす)さん(76)。旅館裏手の井戸から組み上げた水を、約一メートル四方の大釜で二日間ほどかけて煮詰め、天日干しして造る。煮詰め方次第で、直径五センチの大きな結晶にも、さらさらとした小粒にもなる。初めはしょっぱさが強いが、後を引かず、わずかに甘みが残る舌触りが特徴だ。

館内では塩水を活用した鹿塩温泉も楽しめる=大鹿村の山塩館で

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 塩分を含んだ鉱泉ははるか昔から湧き出ており、旧鹿塩(かしお)村(現・大鹿村鹿塩)の名の由来にもなったとされる。庶民には、漬物やみそ造りなど生活の中で利用されていた。

 温泉として活用され始めたのは明治時代に入ってから。この地から塩水が湧き出ていることを知った旧徳島藩士の黒部銑次郎(くろべせんじろう)は、塩の起源が岩塩ではないかと考え、一八七五(明治八)年に来村して村民を雇い、採掘を始めた。

 ところが、掘っても掘っても岩塩は見つからず、九一(同二十四)年に温泉旅館を始めた、山塩館の初代として塩造りにも取り組んだ。既に八〇年代には国内に岩塩はないという説が有力になっていたが、黒部は、長安さんの祖父理太郎(りたろう)とともに夢を追い続けた。

精製された「山塩」=大鹿村の山塩館で

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 一九〇五年に始まった塩の専売制度により、製塩は打ち切られる。当時使っていた大釜や資料の多くは、六一年の三六災害で流されたが、九七年の規制緩和を受け、長安さんが認可を取り付け、再開した。「雪の結晶のような、すごくきれいな塩の結晶が造れると祖父に聞いていた。ご先祖さまはどんな塩を造っていたのかなと気になって」

 経営を長男の定雄(さだお)さんに譲った今も、塩造りは長安さんの仕事だ。できた塩は、旅館で提供するジビエ料理や焼き魚、天ぷらなどに添えるほか、村内の直売所「塩の里」や県のアンテナショップ銀座NAGANO(東京都)にも置いている。

 現在、塩水で傷んだかまどを修理中で、製塩作業は一時休止しているが、三月ごろには再開できるという。「インパクトのある塩水は村の財産でもあると考えている」と長安さん。黒部の描いた夢は、村の観光や活性化となって息づいている。

 (服部桃)

 <大鹿村と塩> 温泉に塩分が含まれる要因には諸説ある。村中央構造線博物館の学芸員河本和朗さん(66)によると、温泉の水分は、太平洋側から日本列島の下に沈み込んだフィリピン海プレートの岩石に含まれた水が、日本列島の地下35キロ以上深い所で放出され、地表近くに上昇。その過程で食塩を構成するナトリウムと塩素が溶け込んだと考えられている。

 

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