トップ > 特集・連載 > 長寿しなの 彩食記 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

長寿しなの 彩食記

<第7部 癒やす自然の恵み> (7)百草丸 

百草丸の説明をする小谷さん。以前は紙製のパッケージだった=王滝村の長野県製薬で

写真

 ツルツルしたBB弾の大きさの丸い粒を鼻に近づけると、薬草のような香りがした。口に含むと、強い苦味がいっぱいに広がった。「良薬口に苦しと言いますが、この苦味が胃腸に良いんです」。百草丸を製造する長野県製薬(王滝村)の生薬アドバイザーで、信州大特任教授の小谷宗司さん(66)が笑った。

 百草丸は、キハダの内皮の抽出液「オウバクエキス」など五〜七種類の生薬を配合して作られる木曽地域の伝統的な丸薬。食べ過ぎや消化不良に効く整腸作用があるとされる。

 小谷さんや長野県製薬の社史によると、同じオウバクエキスなどの生薬成分を小判のような板状に加工した「百草」が百草丸のルーツ。百草作りが木曽地域に伝えられたのは江戸時代後期の一八四九(嘉永二)年。御嶽山の王滝口登山道を開いた普寛行者の高弟、寿光行者が、製法を住民らに伝えたとされる。

 普寛行者は、山伏修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)が約千三百年前に開いた大峰山(奈良県)で修行した。役小角は現代にも伝わる百草によく似た胃腸薬「陀羅尼助(だらにすけ)」の製法を伝えたとされ、小谷さんは「普寛行者の弟子の寿光行者が陀羅尼助の製法を知っていて不思議でない。その知識と木曽地域に自生する薬草が掛け合わさって百草が生まれたのでは」と推測。「当時は解熱や鎮痛効果を持つ生薬も配合され、万能薬として使われた」と指摘する。

寿光行者が木曽地域に製法を伝えたとされる百草。当時は竹の皮に包んで携帯したという=王滝村の長野県製薬で

写真

 店ごとに生薬の配合が微妙に異なる「家伝の調合」があったが、一八七四(明治七)年に売薬取締法が交付されたことなどで製法や成分は統一された。百草は割って水と一緒に服用するが、戦前には、飲みやすい球状にした整腸剤の百草丸が作られるようになった。

 第二次大戦に突入すると、国家総動員法に基づく政府の措置で、県内の売薬メーカーが一社に統合された。戦後の統制解除で、百草や百草丸を作る製薬会社が複数誕生したが、倒産や統合が進み、現在は長野県製薬と木祖村の日野製薬の二社が残っている。

 主成分となるオウバクエキスを転用した新しい製品の開発も進む。

オウバクエキスを使った日焼け止めやシャンプーの化粧品シリーズ「百草物語」=木祖村の日野製薬で

写真

 日野製薬はオウバクエキスの持つ保湿力に着目し、化粧品シリーズ「百草物語」を約二十年前に発売した。ボディクリームや日焼け止めをそろえ、今年七月にはオウバクエキスと木曽産ヒノキの精油を使ったシャンプーとコンディショナーを発売し、人気を集める。井原正登社長は「伝統的な生薬の力をより多くの人に知ってもらい、広く受け入れられる形で後世に残していきたい」と商品数を増やす考えだ。

 長野市・善光寺の参道付近では、老舗の笠原十兵衛薬局でオウバクを主原料とする「雲切目薬」が名物だ。

 一五四三年、目薬として目の周りに塗る軟こうを発売したのが始まり。明治時代に液体になった。一九八五年の医薬品医療機器法(旧薬事法)改正で成分のカンフルが使えなくなり、今はオウバクが主成分になっている。

善光寺土産となっている雲切目薬=長野市で

写真

 十八代目店主の笠原久美子さん(62)は「細く長くを家訓に信用を築いてきた。手を広げるのでなく、伝統を守っていきたい」と話している。

 (酒井大二郎、高橋信)

 

この記事を印刷する

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索