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長寿しなの 彩食記

<第7部 癒やす自然の恵み> (5)薬用人参

焼酎に漬けて保存されている薬用人参と、説明する佐久薬草研究会の碓氷さん(右)=佐久市の榛名平公園で

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 「とにかく手がかかる」。佐久薬草研究会長の碓氷肇さん(80)は、薬用人参(にんじん)が育つ地下を見つめて語った。

 佐久市の榛名平公園にある薬草人参園。研究会が管理し、「朝鮮人参」「信州人参」「オタネ人参」などと呼ばれる薬用人参を観賞用に栽培している。

 十一月ごろ、赤い実をむいて、中にある種を植える。かぶせた土に雨が当たらないよう、ワラで作った屋根を設ける。翌年の九月からは、地下で育つ人参を全て掘り起こし、生育のいいものだけを残して埋め戻す作業が毎年ある。商品になるのは五、六年後だ。

 「昔は、一回作ったら五十年休めと言われていた」と碓氷さん。連作障害が悩みで、最近は生育が芳しくないという。

薬用人参に傷がないかを確認して選別する職員=JA佐久浅間信州人参センターで

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 公園内の管理棟には焼酎漬けが展示され、栽培年数による大きさの違いが比較できる。地元ではアルコール度三五度の焼酎に漬けて毎日飲む人がいて、碓氷さんは「埋め戻さなかった二、三年ものを天ぷらで食べることもある」と説明する。

 日本特産農産物協会(東京)によると、五、六年で収穫された薬用人参の県内生産量は二〇一五年、六千三百五十七キロ。福島、島根県とともに三大産地と言われるが、国内生産の74%を占めて他を圧倒し、全国一位だ。

 JA佐久浅間信州人参センター(上田市)によると、県内で薬用人参が栽培されるようになったのは、江戸後期の一八四六年に志賀村(現在の佐久市志賀)の農民が栽培に成功したのが始まり。

 東信地方を中心に栽培が広がったが、最近は生産者が減っている。東信地方でも、一九七〇〜八〇年ごろは三千人以上が年百トン以上を作っていたが、現在は二十五人、十トン弱。需要は伸びているが、手間がかかって栽培が難しく、安価な輸入品に押されている。

蒸した薬用人参を前に「布を巻くのも取るのも全部手作業」と話す永井さん=JA佐久浅間信州人参センターで

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 センターでは、東信地方を中心に栽培された薬用人参が九月ごろに収穫されて運び込まれる。傷の有無を目で確認し、「天」「良」「佳」に選別。細かな根をはさみで切り落とし、白い布で巻いて六時間蒸す。一〜三週間ほど乾燥させると十トン弱の人参は一・五〜二トンほどになり、県外の漢方薬メーカーなどに出荷している。

 センターの責任者永井義雄さん(62)は「薬用人参の多くが県内で栽培されている自負はある。国や県の支援があれば生産量がもっと増える」と訴える。「私もエキスを毎日飲んでいる。ものすごく苦いけど、おかげで元気ですよ」ととびきりの笑顔を見せた。

 (中島咲樹)

 

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