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長寿しなの 彩食記

<第6部 戦争とのつながり> (4)えんめい茶

創業当初の1965年に作られた「えんめい茶」。奥は狩野誠さんが戦後に書き残した言葉=信濃町の黒姫和漢薬研究所で

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 突撃を命じられた多くの友人が沖縄の空に散った。東京生まれの狩野誠さん(故人)は拓殖大在学中の一九四四年三月、学徒出陣で徴兵された。予備士官学校からスパイ養成の陸軍中野学校に入り、米軍に占領された飛行場を破壊する義烈空挺(くうてい)隊に加わった。特攻に備えて待機した九州の基地で終戦を迎えた。

 自宅は東京大空襲で焼け落ちた。戦後の混乱の中、狩野さんは「良心に恥じない生き方をしたい。素朴な農村生活に自分の生き方を求めたい」と入植者を募集していた黒姫山麓に開拓農民として移り住んだ。四七年九月、二十一歳だった。

 黒姫山麓には当時、旧満州(中国東北部)からの引き揚げ者や戦禍者ら二百戸が入植した。昼は伐採と小屋作り、夜は月明かりを頼りに開墾し「昼夜の別なく働いた」という。

 生活は厳しく、子どもらは「おはよう」でなく「おなかすいた」があいさつ代わり。馬ふんの中に残る豆を拾って食べる子どもに「何のための戦争だったのか」と心を痛めた。

 相次ぐ冷害も追い打ちをかけた。時には昆虫やカエル、モグラを食べて飢えをしのいだ。医者もおらず薬局も近くにないような山間部。過酷な環境に開拓者らが次々死んだ。「この地で生きるには、野山に自生する薬草や野草を活用するほかない」とササでお茶を作ることを考えた。

 この地域では昔から、ササをちまきに使ったり、茶にしたりして愛用してきた。健康に良いとの言い伝えもあり、自身や家族もササの葉を煎じて飲んでいた。クマザサの新芽にハブ草やハトムギ、クコ、延命草などの数種類の薬草を調和させ、自然の風味のある薬草茶を開発した。

「えんめい茶には父の平和への思いが込められている」と話す狩野土社長=信濃町の黒姫和漢薬研究所で

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 地元の民宿や土産屋を訪ね歩いて売り込み、少しずつ取り扱う店舗を増やした。七〇年代の健康ブームも後押しし全国に広まった。この「えんめい茶」は、狩野さんが興した黒姫研究所(現黒姫和漢薬研究所)で主力商品となった。

 狩野さんは同じ陸軍中野学校出身の縁で、戦中戦後の三十年間、フィリピン・ルバング島に潜伏した元陸軍少尉の小野田寛郎さんと交友があった。七四年に帰国した小野田さんが間もなく黒姫山麓を訪れ、狩野さんに「おまえは黒姫に三十年、小野田はルバングの山中での三十年だったなあ」と漏らしたという。

 狩野さんは戦後、「万世に太平をひらく」と書き、研究所内に建立したお堂に掲げた。狩野さんの長男で現社長の土(はかる)さん(56)は「えんめい茶には、戦争がなく、体も心も健康であってほしいという父の思いが込められている。私たちが平和でありたいと思うより、強く切なる願いだったと思う」と語る。

 (斉藤和音)

 

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