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長寿しなの 彩食記

<第6部 戦争とのつながり> (3)塩尻志学館高のワイン

製造免許を手にする市村校長。手前は生徒たちが製造した「KIKYOワイン」=塩尻市の塩尻志学館高で

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 色あせた免許状。日付は、第二次世界大戦中の一九四三(昭和十八)年九月二十八日。ブドウとワインの産地、塩尻市にある塩尻志学館高校に果実酒類の製造を許可する内容。市村勝巳校長は「ワイン造りという地域に根ざした教育を続けてきた歴史の重みを感じる」としみじみと語る。

 塩尻志学館高は一一(明治四十四)年に開校し、二八年にワイン製造実習を始めた。学校職員が出征する時や収穫祭などの際、乾杯用に使われたという。そのワイン造りも、大戦の戦局とともに意外な転機を迎える。

 国税庁税務大学校租税史料室のホームページによると、旧日本海軍は四二年六月のミッドウェー海戦で大敗した直後、潜水艦などの探査技術を習得させるため同盟国ドイツに人員を派遣した。ドイツは音波を素早く捉えるロッシェル塩を使った音波レーダーを艦船に装備し、効果を発揮していた。このロッシェル塩は、ワインの醸造過程で採取できる酒石酸を精製してできた。

 海軍は東芝などに依頼してロッシェル塩を使って潜水艦探知用のソナーを量産する態勢を構築。政府も海軍の要請を受けてワイン造りを奨励し、製造免許数を増やしたり、醸造に必要な統制品の砂糖の割り当てで便宜を図ったりした。国内で課税されたワインは四五年度、約三千四百二十万リットルと前年度の二・六倍に急増した。

 そんな時代背景の中で、塩尻志学館高に製造免許が交付されていた。七四〜二〇一一年までワイン醸造の授業を受け持った高山秀士さん(73)=塩尻市広丘郷原=は、免許状を書いたという人物と話したことがある。同校の前身、東筑摩農学校の卒業生だった。高山さんは「終戦となり、学校で製造されたワインの酒石酸は、武器として使われるに至らなかったようだ」と話す。

米国でのワイン研修に参加する生徒たち。右から田部さん、上條さん、奥原さん=塩尻市の塩尻志学館高で

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 免許交付から七十四年。同校では、授業でブドウ栽培やワイン製造をし、瓶詰めした「KIKYOワイン」の一部を市民らに提供。市の補助を受け、かつての敵国にあるワイン産地の米カリフォルニア州に生徒を毎年派遣している。

 本年度は、校内で選ばれた三人が二十五日〜九月一日の日程で、現地の醸造所九カ所を視察する。地元のセントヘレナ農業高校の生徒とも交流し、戦時中に醸造免許を交付された歴史やワインと戦争との関係も紹介する。

 渡米を控える上條未来さん(18)は「戦争の道具としてでなく、飲む人のためにワインを造れることに感謝したい」と語り、田部匠さん(18)も「品質向上を目指して学べる時代が続いてほしい」と願う。奥原千瑛さん(18)は「海外研修は平和な時代でないとできない」と平和の大切さを感じている。

 (一ノ瀬千広)

 

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