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長寿しなの 彩食記

<第6部 戦争とのつながり> (1)遠山ジンギス

手軽に親しまれている遠山ジンギス=飯田市で

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 ジュウ、ジュー。焼く音や香りが食欲をそそる焼き肉。人口一万人当たりの焼き肉店数が日本一多い飯田市民のソウルフードだが、歴史が古いとされるのは牛や豚でなく羊だ。谷深い遠山郷で朝鮮半島出身の人にたれの味付けを教わり、日本人向けにアレンジした遠山ジンギスが有名だ。

 「戦時中に肉は貴重。何かの際にイノシシやウサギなどを食べるとしても煮込んでいた。肉を焼くなんておっかなびっくりで、大人は近づかなかった」

 遠山郷出身の北沢廣富さん(86)=松川町=は懐かしむ。太平洋戦争末期の一九四四(昭和十九)年に始まった飯島発電所の建設で、動員された勤労学徒や朝鮮半島、中国出身者らが遠山郷に滞在。朝鮮半島出身の人たちが地元住民を驚かせたのが焼き肉だった。

 農家から牛や豚を買って河原でさばき、一斗缶に炭を入れて焼いていた。「十二、十三歳の子どもだったから、好奇心から焼き肉をもらって食べた。たれがもみ込まれ、おいしくて、これまたびっくりした」

 市歴史研究所の原英章調査研究員(68)=喬木村=によると、朝鮮半島の出身者には民家を借りて子どもが小学校に通うなど地元住民と関わる人々もいた。

 異国の食文化に感動した子どもは他にも多くおり、遠山ジンギス発祥という「肉のスズキヤ」を五七年に創業した鈴木理孔(まさよし)さん(86)もその一人だった。

 「初めて食べた時にとてもおいしく、皆が笑顔になるのを見て、いつか事業にしようと決めたそうです」と長男で二代目の理(まさし)さん(56)。理孔さんは朝鮮半島出身の人にたれの作り方を教わり、日本人向きの味の研究を重ねた。

遠山ジンギスやイノシシなど山肉を販売する2代目の鈴木理さん=飯田市で

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 羊は、第一次世界大戦で羊毛輸入が難しくなったことから政府が一八(大正七)年、綿羊の増産を計画。軍服需要などから県内も飼育が盛んになった。戦後は羊毛の輸入自由化などで衰退し、食用に安く出回ったという。

 理孔さんは、味にくせはあるが売れると直感し、創業時から羊肉を扱った。たれをもみ込むことで臭みを消してうま味を引き出し、羊肉やヤギ肉を焼き肉用として発売。焼く珍しさやたれのおいしさから大繁盛し、理さんは「客が後を絶たず、夜は照明を布で覆って留守を装ったほど」と振り返る。

 遠山郷では他店も売り出し、遠山ジンギスの総称で定着した。たれの配合やもみ方を微妙に変えながら引き継がれている。

 元農協職員で理孔さんと交流もあった北沢さんは「人気の秘密はたれにある」と語り、原さんは「戦時中に食文化の出会いがあった。重い歴史の中で特筆すべき副産物」と指摘する。

 (石川才子)

     ◇

 七十二年前の十五日に迎えた終戦。県内には、ルーツをたどると戦争とのつながりがあるご当地グルメや特産が散見される。当事者らの体験も踏まえ、その歴史を紹介する。

 <国内の綿羊飼育> 1869(明治2)年に米国から最初の綿羊が輸入された。1904〜05年の日露戦争をきっかけに、国内の羊毛需要が高まる。14年に第1次世界大戦が起こると、羊毛の輸入が困難に。18年に政府は綿羊増殖計画を打ち出した。41年に第2次世界大戦が始まり、綿羊の輸入が途絶えた。戦後の59年に羊肉が、62年に羊毛が輸入自由化され、綿羊飼育が衰退していった。

初めて焼き肉を食べた時の感動を語る北沢さん=松川町で

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