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長寿しなの 彩食記

<第1部 海なし県の魚たち> (7)お年取りサケとブリ

◆歴史が運んだ潮の味

ブリの照り焼き(手前)を配膳する児童たち=伊那市の伊那小で

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 大みそかの食卓に並ぶ「年取り魚」。県内では、大きく分けて東北信がサケ、中南信がブリを味わうことが多い。

 松本市笹賀の同市公設地方卸売市場。昨年暮れも例年通り、氷見、佐渡など北陸をはじめとする国内各地のブリが連日、集まった。

 「脂が乗ったのがそろう。年越しは、これがないとね」。売り場を管理する丸水長野県水の上条富士さん(47)が体長一メートル近い寒ブリを前に表情を崩した。

 同じころ、伊那市、駒ケ根市の小学校などでは給食にブリの照り焼きが出た。「伝統は大切にしたいですから」。給食を準備する白衣の児童らに囲まれ、伊那小の栄養職員輿(こし)あかねさん(29)が話した。

 中南信のブリの歴史は江戸時代にさかのぼる。松本市立博物館などによると、十七世紀半ば、富山湾で水揚げされ、現岐阜県高山市での市(いち)を経て信州に来た。商人が、料理にこくを出す魚の魅力に目を付けたらしい。

家族に囲まれ、サケを切り分ける西さん(右)=山ノ内町で

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 歩荷(ぼっか)と呼ばれた人々が、塩を擦り込んだブリ五、六匹をかごに入れて運んだ。松本や木曽経由で中南信各地に入り、飛騨ブリや松本ブリの名で広まった。

 運ばれた道は「ブリ街道」と呼ばれる。富山−高山、高山−松本間は各百キロ近く。諏訪や伊那谷へは、さらに労力と時間がかかる。高値だったはずだが、需要は多かった。同博物館の小暮洋介学芸員は「出世魚で縁起が良い。年に一度のごちそうとして重宝されたのだろう」と分析する。

 一方、サケは−。千葉県在住の団体職員西亮さん(42)は昨年末、山ノ内町の実家で、両親や親類に囲まれ、体長六十センチの新巻きザケを切り分けた。「二〇一六年も締めくくりか」と感慨に浸りつつ新年を良い年にとの思いを包丁に込めた。

 東北信のお年取りは、千曲川水系でかつて、日本海から遡上(そじょう)したサケが採れたためと考えられている。

 県によると、千曲川のサケの漁獲は最盛期の一九三一年、六万七千キロ以上。信州のサケ文化を研究する長野市安茂里公民館長の宮下健司さん(65)は「昔は十二月に千曲川や犀川でサケが採れた。塩ザケにして食べたのだろう」と話す。

市場に並んだ寒ブリ。各地のスーパーに出荷され、大みそかの食卓を彩った=松本市公設地方卸売市場で

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 千曲川ではその後、飯山市・野沢温泉村境で三九年に完成した西大滝ダムなどの影響もあり、サケはほぼ採れなくなったとされる。それでも、食文化は深く根付いているようだ。(竹田弘毅、近藤隆尚)

 <年取り魚の慣習> 大みそかに年越しを祝って食べる魚。県内を縦断する糸魚川静岡構造線を境に、東日本がサケ、西日本がブリの文化圏とされる。松本市立博物館によると、県内ではサケやブリに加え、イワシやサンマ、ニシンといった10種類以上の魚も食べられているという。

 

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