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長寿しなの 彩食記

<第4部 豊かさ醸す発酵文化> (5)安養寺みそ

みその造り方を日本に伝えたとされる無本覚心の像=佐久市の安養寺で

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◆“源流”から新しい味

 山や畑に囲まれた閑静な佐久市郊外。安養寺の本堂を通り抜け、廊下を渡った建物に入ると、座禅を組んだ木像が鎮座している。現在の松本市生まれで、日本にみそ造りを伝えたとされる無本覚心(一二〇七〜一二九八年)の像だ。高さ一メートルほどで、住職の田嶋英俊さん(64)は「安養寺は信州みその源流と言える」と笑顔を見せた。

 佐久市の歴史をまとめた「佐久市志」などによると、現在の場所に安養寺ができたのは一三六五年ごろで、覚心の孫弟子で現在の箕輪町出身の大歇勇健(だいけつゆうけん)が開いた。

ご当地グルメとして売り出された「安養寺ら〜めん」=同市の七代目助屋で

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 この歴史に佐久市のみそ製造業者らが着目。町おこしのためにみそを造ろうと話が盛り上がり、手を挙げた和泉屋商店(同市岩村田)が十五年ほど前、「安養寺みそ」の名称で商品化した。

 大歇勇健がみそ造りを伝えた記録が残っているわけでなく、歴史につながる製法も特にない。阿部博隆社長(43)は「信州みその源流が佐久にあると知ってもらうためのみそ。『何だ、このみそは』と思ってもらいたくない」と熟成期間を通常の商品より長い二〜三年にして味に深みを出し、香り豊かなものを目指した。

 この安養寺みそを生かしてご当地グルメを作ろうと、佐久商工会議所と佐久市内のラーメン店六店舗が企画。二〇〇八年に完成させた「安養寺ら〜めん」は、スープに使うみその八割以上を安養寺みそにするのが条件だ。

 現在は同市内の十五店舗が提供し、各地のイベントに出向いて販売もする。ラーメン店に卸す安養寺みその量が、小売りの販売量を上回るほどだ。

 安養寺みそは、田嶋さんらが安養寺所有の畑で作った大豆だけを用いて、生産が始まった。次第に販売量が増えて寺の畑だけでは賄いきれなくなり、現在は佐久市産の大豆を使う。

冬の出荷に向けて安養寺みその熟成具合を見る阿部さん=同市の和泉屋商店で

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 和泉屋商店の阿部社長は「ラーメン効果で安養寺みその存在が少しずつ認知してもらえるようになった。全国一の生産量を誇る信州みその源流を多くの人に知ってもらえれば」と思いを込める。

(中島咲樹)

 <無本覚心(むほん・かくしん)> 鎌倉時代の1207年、現在の松本市で生まれた。29歳のときに東大寺(奈良県)で受戒し、43歳で中国に渡った。5年後に帰国。中国で覚えたみそ造りを日本に伝え、みそを造る際にできる上澄みがしょうゆの起源とされる。和歌山県由良町で興国寺を開いてみそをもたらし、「金山寺みそ」の由来となったとも言われる。籠をかぶり尺八を吹いて教えを説く虚無僧の元祖ともされる。

 

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