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長寿しなの 彩食記

<第3部 そばの源流> (5)旧中山道・本山宿

◆サクッ 熟練技つなぐ

手際良くそばを切る赤羽さん=塩尻市で

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 塩尻市宗賀本山の旧中山道・本山宿は、そば切り発祥の地とされる。ソバの実には古くから、かゆ状や餅状にして食べる方法があるが、そば切りは、現在よく食べられる細長く切ったそば。江戸中期の俳文集「風俗文選」に、本山宿から全国へ広がったと紹介されている。起源に諸説あるものの、塩尻市とそば切りに古くから深い関係があるのは確かだ。

 「そばの太さは、のした時の厚さで決まる。一般的に言われるのはともに一・五〜二ミリ。そばの強い味と食感を楽しむなら二ミリ以上にする」。塩尻市に本部を置く信州そばアカデミー理事長の赤羽章司さん(68)=同市広丘堅石=が話す。

 手元で、緑がかった生地からサクサクと麺が細く切り出され、整然と並ぶ。まるで芸術を見るようだ。

 同アカデミーは、全日本素人そば打ち名人の赤羽さんが二〇〇六年に設立し、一四年にNPO法人に。現在、同市広丘野村のJR広丘駅近くの「本部そば打ち道場」を拠点に、県内外の会員約七十人が伝統技術を学び、広めている。

 そば打ちには主に水回し、練り、のし、切りの四工程がある。切りでは、のした厚さと同じ幅で切って、麺の断面をみな正方形にする。ゆでる時に熱が均一に伝わるようにするため。どの作業も習熟は簡単ではない。

 「そばは生きもの。打つ人の気持ちを伝えれば必ず応えてくれる。これだけの楽しみを与えてくれるそばに感謝したい」。そば切りの奥深さが、赤羽さんの言葉の一つ一つから伝わってくる。

   ◇  ◇

 本山宿で知られる本山地区に、手打ちそば店「本山そばの里」がある。JR中央線沿いのソバ畑に囲まれた店舗に、全国から年間二万人が訪れる。

本山そばの里自慢の手打ちそばを味わう花村さん=塩尻市で

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 江戸時代、多くの旅人でにぎわった本山宿だが、一帯は山あいの集落。水に恵まれず、取れるのは米より雑穀が多かった。その中で、そば打ちが家々で伝授されてきた。

 伝統の味で地域振興をと、地元農家が一九九一年に本山手打ちそば振興会を設立し、注文販売を展開。九四年には会員が出資金を集めて本山そばの里企業組合をつくり、店を開いた。二〇〇五年、店の登録商標には「そば切り発祥の地」の文字を入れた。

 店でそばを作るのは四十〜八十代の農家の女性。熟練の包丁さばきで切り、手際良くゆでる。

 細麺が特徴。振興会設立時から関わる同組合理事長の花村芳宏さん(86)は「店を創業する前、麺の太さをどうするか、みんなで話し合った。地区の古老から『本山のそばは昔から細かった』と聞いた。伝統を守り一・五ミリ以下にしている」という。

 そば切りと本山。途切れず重なり紡がれた歴史は、活動に携わってきた人々の誇りだ。「何物にも代え難い宝」。花村さんは言い切った。(一ノ瀬千広)

 <そば切り起源の諸説と塩尻> 「そば切り」の表現が見られる最古の記録は、戦国時代に書かれた定勝寺(大桑村)の文書で、工事の際に振る舞われたとされる。発祥には信州説のほか、甲州(現山梨県)説もある。普及の起点を本山宿とした「風俗文選」の編さん者森川許六は松尾芭蕉の門人。塩尻市では、手打ちそば店有志が2006年に同市手打ちそば切り協議会をつくり、厳選した地粉を使ってそばを提供している。近年注目されている、緑色が濃く香りが強い「信州ひすいそば」は、同市宗賀の県野菜花き試験場が開発。13年から県内で提供が始まった。

 

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