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長寿しなの 彩食記

<第3部 そばの源流> (3)高遠藩主・保科正之の足跡

◆400年 東北との縁再び

会津に残る「高遠そば」。唐橋さんは「大根の辛さはそばと相性が良い」と誇る=福島県会津若松市で

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 大根おろしを搾った白いつゆ。そばを付けてすすると、舌がしびれるほど辛く、顔がカーッと熱くなった。

 この「高遠そば」を味わったのは、伊那市高遠町から遠く離れた福島県会津若松市。そば店の桐屋・権現亭を営む唐橋宏さん(69)は「大根で食べると、そばが締まる感じがして相性が良い。私も大好きでよく食べます」とほほ笑んだ。

 江戸時代、高遠藩主だった保科正之が会津藩に封じられた際、高遠での食べ方が伝えられたとされる。辛味大根と焼きみそで味わう高遠そばは、その後も会津に根差し続けた。

 「昔は大根の搾り汁を会津では『高遠』と呼んでいた」と唐橋さん。家でそばを打つ時は必ず大根汁の丼が脇にあった。「ひいおじいさんが『今日の高遠は辛くないな』と言うと、いろりで真っ赤になった炭を丼に入れるんだ。すると、なぜか辛さが増してね」と懐かしむ。

 会津では古くから、そばはハレの日のごちそうだった。婚礼の席では、そば打ち名人が軽妙な「そば口上」を述べながら振る舞った。口上では多彩な薬味も歌われた。「第一番には鰹(かつお)たれの助(すけ) 第二番には大根高遠絞りの助…」という具合に続き、ミカンやネギ、ごま塩、ユズ、納豆も登場した(「会津そば口上」元木慶次郎編)。

 「飢えをしのぐだけではなく、そばを楽しみとして味わってきた会津だからこそ、高遠そばは四百年にもわたって残ったのだろう」と唐橋さんは語る。“本家”の高遠町でも二十年前、地元の関係者と唐橋さんが協力し、忘れられていた高遠そばを会津から逆輸入して復活させる活動が始まり、今では名物になるまでに育っている。

   ◇  ◇   

江戸時代の文献から復活を果たした寒ざらしそば=山形市で

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 保科の足跡は、山形市にもある。山形は、保科が高遠から最初に転封された地。ここで約三十年前、かつて高遠藩が将軍家に献上していた「暑中信州寒晒蕎麦(かんざらしそば)」が復活した。ソバの実を冷たい川に浸し、寒風にさらして風味を増す製法だ。

 山形麺類食堂協同組合理事長の山川純司さん(62)によると、市内でそば店を営んでいた高井利雄さん(故人)が一九七四年、大名の名鑑「大成武鑑」に高遠藩の寒ざらしそばの記述を発見。十年間の試行錯誤を重ね、復活にこぎ着けたという。

 今は毎年約三トンの実をさらし、春に四十店舗で提供。乾麺も全国発送し、定着させた。

 「高井さんが十年も努力できた原動力は、保科との縁だろう」と山川さん。「将軍が食べたのと同じ味を食べられるようになった。おいしいそばを作りたいと工夫した先人の心意気を伝えたい」と情熱を燃やす。

 高遠町でも山形に学び、二〇〇〇年ごろから寒ざらしそばを作り始め、いま特産化の動きが活発だ。保科の歩みは時代を超えて、伊那谷と東北を新たな縁で結んでいる。(岩田忠士)

 <信州から広がったそば文化> 麺状の「そば切り」を食べる信州の文化は、江戸時代、信州の大名が各地に転封した際に同行したそば職人によって広まったとされる。島根県の「出雲そば」は1638(寛永15)年に松本藩から松江藩に転封した松平直政が、兵庫県の「出石(いずし)そば」は1706(宝永3)年に上田藩から出石藩に国替えした仙石政明が、それぞれの誕生のきっかけをつくったといわれる。

 

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