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論壇時評

翁長雄志と沖縄パトリオティズム 郷土と国家の間で苦悩 中島岳志

 八月八日に翁長雄志(おながたけし)沖縄県知事が亡くなった。米軍普天間飛行場の辺野古移設問題で安倍政権と対峙(たいじ)する中での急逝だった。

 そもそも翁長は沖縄自民党の重鎮だった。那覇市議会議員、沖縄県議会議員をそれぞれ二期務める中、県連幹事長などの要職を歴任し、那覇市長となった。しかし、革新系の諸政党と共闘し、二〇一四年に沖縄県知事選挙に立候補。辺野古移設反対を掲げ、「オール沖縄」を構成した。

 果たして翁長は、保守から革新へと「転向」したのか。基地問題をめぐって「変節」したのか。

 自らも沖縄県知事をつとめた稲嶺惠一は「翁長雄志 本土に伝えたかった沖縄の誇り」(『文芸春秋』10月号)の中で、翁長の「転向」を否定している。稲嶺曰(いわ)く、翁長は「『保守の政治家』を貫いた」。そもそも翁長は日米安保そのものには反対していない。基地があることにも全面的なノーは言わない。しかし、沖縄ばかりに押し付けるのはおかしい。全国で引き受けるべきだという立場であったと説明する。

 翁長から、玉城デニーとともに後継の知事候補として指名された呉屋守将(ごやもりまさ)は、「県民の代表者、翁長知事を悼む」(『世界』10月号)の中で、翁長の信念が、県民同士の対立を超えることにあったと論じている。沖縄では、基地の存在をめぐってイデオロギー対立が生じ、県民同士がいがみあってきた。結果、対立をあおることで基地を押し付ける日米政府が利益を得てきた。この負の構造に対峙するためには、イデオロギーを超えて県民が一つにならなければならない。それが翁長の強い信条だったという。「イデオロギーよりもアイデンティティ。この言葉を掲げたあなたは、一党派、一勢力ではなく、まさに沖縄県民の声の代弁者でありました。県民の分断を誰よりも苦慮し、その分断を助長し、利用しようとする本土の政治家に誰よりも憤っていたでしょう」

 松元剛(つよし)は「魂の政治家が遺(のこ)したもの 翁長雄志知事と沖縄の尊厳」(『世界』10月号)の中で、翁長が「うやふぁーうじ(先祖)」という言葉を好んで使ったことを紹介している。そこには「沖縄戦を生き延び、五〇年代の米軍用地一括買い上げを党派を超えた島ぐるみ闘争で阻止した先達への敬意」が込められていたという。また翁長は、E・H・カーの「歴史とは現在と過去との対話である」という言葉をよく口にしたという。翁長の「保守」は、沖縄の伝統、良識を受け継ぎ、郷土の絆を保持することに向けられてきた。

 松原耕二は「全身政治家だった翁長雄志・沖縄県知事」(WEBRONZA、9月3日)の中で、翁長が語った「保守は生活の戦いをしていた」という言葉に注目する。翁長は自民党の要職から離れ、那覇市長になったことで、「私のバックボーンは市民」という思いを強くしたという。

 第二次安倍内閣になり、辺野古移設の計画が進むと、当時の仲井真弘多(なかいまひろかず)知事は移設賛成に態度を翻した。しかし、翁長は移設反対を貫き、知事選に勝った。翁長は「沖縄県知事は県民の父親でなければならない」と言い、「県民の心のひだ」を大切にした。

 松原はここに県民の生活を保守しようとする翁長の真骨頂があるとみなす。「県民に寄り添うという信念、『政治家は使い捨てられる』という諦念にも似た思い、そして打算も含めて翁長氏は全身政治家だったのだ。県民の中に飛び込んだ翁長氏には、その場所以外に帰るところはなかったのだ」

 保守政治家としての翁長の苦悩は、パトリオティズムとナショナリズムの相克にあったのだろう。パトリオティズムは、一義的には自分が所属する郷土への愛情であり、近代国民国家の誕生とともに構成された政治的ナショナリズムと性質を異にする。政治学者の橋川文三は著書『ナショナリズム』の中で両者を区別し、「原始的な人間の郷土愛は、そのまま国家への愛情や一体感と結びつくものではない」と論じている。

 近代においてウチナーンチュ(沖縄人)が経験してきたのは、日本という国家にパトリ(郷土)が傷つけられ、分断されることだった。松原耕二『反骨 翁長家三代と沖縄のいま』(朝日新聞出版)によると、翁長家は琉球処分によって没落し、沖縄戦で家族を亡くしている。沖縄の保守は、日本という国家に対して、引き裂かれた感情を抱かざるを得ない。

 翁長は第二次安倍内閣発足後に、大きなショックを受けた出来事があったと語っている。それはサンフランシスコ講和条約が発効した四月二十八日を日本の独立記念日として祝う式典が開かれたことだった。もちろん沖縄は日本の独立と引きかえにアメリカの施政下に置かれ続け、本土復帰は二十年後のことである。

 翁長は、小泉内閣あたりから本土の保守政治家にハートがなくなってきたと語った。そして、日本政府の無理解や差別的対応に対して、翁長は命を賭してパトリの思いを投げかけた。

 翁長の「保守」を見つめ直したい。

 (なかじま・たけし=東京工業大教授)

 

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