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論壇時評

「押しつけ」意義探る柄谷氏 憲法論じる重要な機会 中島岳志

 参議院選挙の投開票日が近づいてきた。最大の争点は、やはり「憲法改正」だろう。参議院議員の任期は六年。解散はない。これからの六年間に、国会で憲法改正が議論される可能性は高い。

 中心となるのは九条だ。自民党も民進党も本格的な議論を避けようとしているように見えるが、それは許されない。二〇一四年の衆議院選挙で安倍晋三首相は「アベノミクス解散」を強調し、安全保障問題は争点化されなかったが、選挙後に安保法制が可決された。有権者は選んだ覚えのない政策を選んだことにされてしまう。これは問題だ。

 九条には大きな謎がある。戦力の不保持と交戦権の否認を明記しながら、自衛隊が存在する。憲法で自衛隊を縛れていない。立憲主義を強調するならば、自衛隊を明記し、活動に制約を加えることが重要になるはずだが、国民は九条を変えようとしてこなかった。現在も、世論調査をすれば九条維持に支持が集まる。内容が実行されていないにもかかわらず、国民はなぜ九条にこだわって来たのか。

 柄谷行人の『憲法の無意識』(岩波新書)は、「無意識」の問題として解き明かそうとする。九条の意義をラディカルに問い直す刺激的な議論で、今後、長きにわたって論争の対象となるだろう。

 柄谷の議論を支えるのは後期フロイト。「超自我」という概念が重要になる。「超自我」は自己愛的な「自我」を抑制する倫理的存在で、外部の文化が内在化することで形成される。欲動の断念は、まず外部の力によって強制される。これが良心となって表現され、定着する。

 柄谷はここに九条の「外部力」と「無意識」の根拠を見いだす。九条は占領軍によって押し付けられたものだ。日本人の「自発的な意志によってできたのではない」。このことは通常、否定的な文脈で捉えられてきたが、柄谷は逆に積極的な意味を見いだす。九条は外部から強制されたからこそ、意識を超えた「無意識」として定着したという。

 柄谷は次に「先行形態」という概念を提示する。現在は目に見えない過去に規定され、縛られている。現在の形態には、先行する過去の集合的無意識が反映されている。

 憲法は英語で「コンスティテューション」。構造や構成を意味する語だ。イギリスには成文憲法が存在しない。イギリスでは過去の「先行形態」が現在の世界を無意識のレベルで拘束していると考えられている。だから憲法はわざわざ明文化されない。

 では、日本における「先行形態」は何か。柄谷は江戸時代の「徳川体制」に注目する。戦国の世の「戦後」体制として発足した徳川幕府は、非軍事化とともに天皇の象徴化を進めた。ここで形成され維持された「コンスティテューション」こそが、戦後憲法において高次の回復を遂げたという。

 柄谷はカントの平和論を重視する。カントの代表作は『永遠平和のために』。ここでは諸国家の連邦による戦争の克服が提起されている。

 カントが重視したのは「統整的理念」である。これは実現不可能ながら、到達目標となる理念で、実行可能な「構成的理念」とは区別される。「永遠平和」とは、人類にとっての「統整的理念」であって、そう簡単には実現することができない。しかし、日本は憲法九条に絶対平和が書き込まれている。「統整的理念」が憲法に明記されている。なぜそのようなことが日本だけに可能だったのか。

 柄谷は大澤真幸との対談(『世界』7月号「九条 もう一つの謎」)の中で、これを「奇蹟(きせき)」と呼び、「神の計らいとでもいうほかない」と述べる。「戦後に日本人が憲法九条をつくったわけではない。憲法九条が我々のほうにやってきたのだ、あるいは、神がそれを送ってきたのだ」

 日本には神から与えられた世界史的意義が存在するという立場は、大東亜戦争中に日本の世界史的使命を強調した京都学派の哲学と近似する。柄谷はその危険性に言及しながらも、九条の奇蹟を原理的に追求する。日本は九条を文字通り実行し、その姿勢を国連で訴えるべきだという。

 柄谷の議論は、魅力的であるが故に危うい。新たな全体主義を生み出してしまう可能性を内包している。日本こそが真理を所有しているという態度は、異なるスタンスの国家への排他性につながりかねない。無意識が対象である以上、論理的な是非が成立しない可能性もある。

 柄谷の構想には賛否があるだろう。しかし、積極的に議論をぶつけ合うべきである。逃げてはならない。今回の選挙期間は、重要な機会にほかならない。

 (なかじま・たけし=東京工業大教授)

 

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