トップ > 特集・連載 > 鉄道まるっと切り抜き帳 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

鉄道まるっと切り抜き帳

<美濃太田駅> 健在!立ち売りの駅弁

駅弁の立ち売りを続ける酒向さん(左)=美濃加茂市太田町で

写真

3路線が乗り入れる美濃太田駅=美濃加茂市太田町で

写真

 美濃加茂市の美濃太田駅には、昔ながらの味がある。ご飯の上にマツタケ、タケノコ、鶏肉、ワラビなどが載った「松茸(まつたけ)の釜飯」。全国でも数少なくなった立ち売りの駅弁だ。

 「座ってたって売れへん。出張せんとな」。太多線と高山線のホームの端にある売店から、仕出し業「向龍館(こうりゅうかん)」の2代目、酒向茂さん(74)が笑顔で歩き始める。駅弁を並べた箱を首から下げ、列車の到着時間に合わせてホームを行ったり来たり。「ここの釜飯、有名だよね」と孫を連れた男性に話し掛けられると、「そうよ、何十年もやっとんよ」と威勢良く返した。

 1921(大正10)年に高山線の延伸に伴い開業した美濃太田駅。23年に越美南(えつみなん)線(現長良川鉄道)、28年に太多線が乗り入れ、乗換駅としてにぎわってきた。

 酒向さんの父、和男さんが向龍館を創業し、駅で幕の内弁当を売り始めたのは高度成長期の55(昭和30)年。その4年後に地元特産のマツタケを使い、陶器に詰めた釜飯を発売したところ、一躍評判を呼んだ。木曽川の旧日本ライン下りが隆盛を極めた昭和50年代には、下車して乗船場へ向かう人たちからも次々と手が伸びた。

 「1日に400個も、面白いように売れたもんよ。従業員も30人おって。ええ時代やった」。酒向さんはそう目を細めた後、寂しそうにつぶやいた。「でも、時代は変わったんよ」

 高速道路の整備が進むとともに、鉄道の利用客はどんどん車に奪われた。90年に太多線から岐阜駅への直通運転が始まると、乗り換え客はさらに減少。98年に木造平屋だった駅舎が鉄骨2階建ての橋上駅舎に変わり、売店のすぐそばにあった乗り換え階段は取り払われた。

 最近、客から「処分に困る」との声も届き、釜飯の容器をプラスチック製に換えた。「今は1日10個売れればいい方。列車の本数は増えて、いろいろと便利な世の中になったけど、駅弁には厳しいやね」。従業員らも離れ、3年ほど前に妻の素子さん(71)と2人だけになった。

 それでも酒向さんは毎朝5時前に起き、自分で7、8個の釜飯と、1日限定2個のちらしずし弁当を作り、8時半には自転車で5分ほどの駅に立ち続けてきた。「今年の夏は猛暑でたまらんかった。でも、1日も休んどらん。昔っから駅と一緒、年中無休やで」

 昼前、素子さんが追加で作った釜飯を届けに来た。「お客さんといろんな話ができて面白いし、『また買いに来たよ』って人もいてくれるし。楽しい旅の足しになればうれしいやね」。ホームを見渡しながら、夫婦でほほ笑み合う。釜飯を買い、初めて食べた。どこか懐かしい、優しい味がした。 

(平井一敏)

 

この記事を印刷する

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索