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鉄道まるっと切り抜き帳

<美濃川合駅> 無人駅、静かな住宅街にマッチ

周辺に新しい住宅が立ち並ぶ美濃川合駅=美濃加茂市川合町で

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自宅横のホームを見ながら往事を語る渡辺さん=美濃加茂市川合町で

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 可児駅から西へ向かい、木曽川と飛騨川の合流点を右手に望みながら約300メートルの鉄橋を渡るとすぐに、緩やかに左にカーブしたホームに列車が滑り込む。美濃加茂市川合町の美濃川合駅。静かな住宅街の中にある無人駅だ。

 駅ができたのは1952(昭和27)年。太多線の全線開通から24年後だった。「周りは一面の桑畑や麦畑。家なんてほとんどなかったよ」。ホームの横に見えた喫茶店兼ギャラリー「ふくろうの館(やかた)・森の逍遥(しょうよう)」を訪ねると、当時中学生だったという店主の渡辺国昭さん(78)が懐かしそうに教えてくれた。

 バレーボール部に入っていた中3の時、試しに出場した陸上の県大会の1500メートル走でいきなり優勝した。指導者らに請われ、陸上に力を入れていた長良高校(岐阜市)へ進学。中距離選手として成長し、全国高校駅伝競走大会では2年連続で1区の区間賞を獲得、3年の時には区間新記録も打ち立てた。

 通学時間は列車とバスを乗り継いで約1時間半。かつての最寄りの美濃太田駅は歩いて40分ほどかかった。「目の前に川合駅ができたおかげで岐阜まで通え、強豪選手が集まった中で鍛えられた」。帰りは練習疲れで寝てしまうこともあったが、「列車が鉄橋を渡る振動で目が覚めた。乗り過ごしても隣の駅までで済んだ」と笑う。

 中央大時代には「学生の五輪」とも呼ばれるユニバーシアード競技大会の男子800メートル走と1500メートル走に出場し、ともに日本新記録で3位に入賞。卒業後は東急電鉄に入り、1500メートル走で64年の東京五輪出場も内定していた。だが、開幕の11カ月前に足の筋肉を断裂し、出場を断念。五輪の年の春、陸上も会社も辞めて川合駅に降り立った。

 失意を振り払い、間もなく岐阜市の繊維商社に就職した。高校時代と同じように駅から通勤し、がむしゃらに働いた。約20年前に独立し、自宅で縫製会社を開業。趣味で集めたフクロウの工芸品などを飾るために2001年に自宅横に同館も構え、ベトナムやタイの職人に別注した独自商品の輸入も手掛けている。

 館と同じころ、市内の陸上関係者らと協力して、小学生を指導する「美濃加茂ジュニア陸上クラブ」を立ち上げた。「全国大会で活躍し、五輪を目指せる選手も育ってきた」と渡辺さん。駅の近くには大型商業施設ができ、周辺に新しい住宅も増えている。

 駅は約30年前にホームが10メートルほど延び、普段の朝夕は近隣の加茂高校や美濃加茂中学・高校などに通う子どもたちでにぎわう。「フクロウは福を呼ぶ鳥。ここを通るみんなも大きく羽ばたいてくれるといいね」。館のそばから駅を見つめながら、渡辺さんはほほ笑んだ。 

(平井一敏)

 

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