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鉄道まるっと切り抜き帳

<姫駅> 国鉄「ディスカバージャパン」ポスターに堂々登場

荒川守松さんが写ったポスターを見ながらほほ笑む幸子さん(右)と由美子さん=可児市松伏の自宅で

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駅事務室で保安装置の「閉そく機」を操作する在りし日の守松さん=多治見市姫町の姫駅で(荒川幸子さん提供)

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 1枚のポスターが残っていた。平仮名で大きく「ひめ」と駅名が書かれたホームの木製看板の横で、使い込まれてややくすんだ紺色の制服・制帽姿の駅長がぴしりと指を伸ばして敬礼している。国鉄が展開したキャンペーン「ディスカバージャパン」のポスターに姫駅が堂々登場し、その名を全国に知らしめたことがあった。

 今では待合室だけの無人駅だが、かつては縁起の良い駅名だからと、結婚の記念品として入場券を全国に発送していた。訪れる旅人も少なくなかった。

 「姫」の地名は神話に由来する。大国主命が美濃を平定した後、孫娘の「比売命(ひめのみこと)」にこの地域を治めさせたという伝説だ。比売命は、近くの三宮神社(可児市下切)にまつられている。1928年の駅開業時、周辺は「姫治村」だったが、兵庫県の姫路駅との混同を避けて「姫」駅と名付けられたとも言われる。

 65(昭和40)年10月、特別列車で太多線を通った昭和天皇が「姫」の由来を当時の県知事に尋ねた逸話も語り継がれている。郷土史の研究を続ける元県議の宮嶋和弘さん(79)=陶技学園理事長=は「貧しかった村にはこの上ない光栄だったはず」と誇らしげに語る。列車が岐阜駅に着くまでの46分間、7人の駅員らが大慌てで資料を探し出して連絡した。「先人が記録を残していたことに感謝しなければ」

 駅前の商店で思い出話を尋ね歩くうち「元駅長さんの家が近くにある」と耳にした。早速、姫駅に近い可児市松伏の住宅街の一角を訪れると、78〜79年に駅長を務めて冒頭のポスターを飾った故・荒川守松さんの妻幸子さん(92)に会えた。

 「着任当時、既に姫駅は出札窓口も閉鎖され、駅員も2〜3人しかいない寂しい駅になっていました」と幸子さん。各地の駅長を歴任した守松さんは、定年前の最後の職場として実家に近い姫駅を希望した。「駅前の官舎に家族4人で住み、私が毎日2食、弁当を届けたものです」

 毎朝5時ごろには駅長室を開け、冬場は乗客のためにストーブで部屋を暖めるのが日課だったそうだ。雨にぬれるのも気にせずホームを走り、列車の通行証にあたる「タブレット」を運転士に受け渡した。信号機の電球もはしごを上って自分で取り換えた。「とにかくまじめで、機関車みたいな性格でした」。幸子さんは懐かしそうに話す。

 ある日、東京から来た高校生が姫駅に降り立った。守松さんは駅長室に青年を招き入れ、お茶を出して次の列車まで会話を楽しんだという。それから青年が大学を出て就職するまで数年間、手紙のやりとりが続いたことを守松さんは家族に話していた。青年はロマンあふれる駅名に心を引かれたのだろうか。お姫さまがいたかどうかは分からないが、この駅には温かい心の交流があった。

 長女の由美子さん(61)は、地域の人にあいさつ回りに行く守松さんに付き添ったことを覚えている。写真には、地元の人がホームに植えたマツやツゲの植栽と石灯籠も見える。お礼に守松さんは日曜大工で作ったミニチュアの駅名看板を立てた。面影はもうないが、ホーム脇の草むらに石灯籠が1つ隠れているようだ。

 写真を見ながら昔を懐かしむ幸子さんにそっとカメラを向けながら「守松さん、男前ですね」と呼び掛けてみた。国鉄一筋に生きた亡き夫と久しぶりに同じ写真に納まった幸子さんは、少し間を置いてから「そうかしらね」とはにかんだ。

  (野瀬井寛)

 

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