トップ > 特集・連載 > 鉄道まるっと切り抜き帳 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

鉄道まるっと切り抜き帳

<根本駅> 住民総出で「炭カス降ろし」

住民が造ったプラットホームがあるJR根本駅=多治見市根本町で

写真

根本駅近くにある市営高根団地。周辺にはこうした団地が数多く建てられた=多治見市高根町で

写真

 団地が多く建ち、多治見市内でも指折りの人口を抱える根本地区。学生や通勤の会社員など住民の足を支えるJR根本駅は、当初からあったわけではない。住民が創設に立ち上がり、自らの手で造った駅だった。

 「みんなで競争みたいにやったから、大変というより楽しかった」。若尾寿美男さん(89)=同市根本町=は建設当時を懐かしむ。「楽しかった競争」とは、根本に駅を設けるための“交換条件”として住民たちが引き受けることになった「炭カス降ろし」のことだ。

 1918年に新多治見−広見(現・可児)間で運行が始まり、20年に「根本停留所」ができた。しかし、28年に多治見−美濃太田間が全線開通した際、廃止されてしまったのがそもそもの発端だ。

 20年以上も隣の小泉駅まで歩いて行くことを強いられた住民たちは、51年11月に「根本にも駅を」と立ち上がった。住民全員分の署名を手に、名古屋市にあった国鉄の営業所に何度も陳情に通い、1年後の52年9月に駅建設を勝ち取った。その際「住民が駅建設を手伝うという話になっていた」(若尾さん)という。

 具体的な作業は、プラットホームの地盤埋め立て用に貨物列車で運ばれてくる炭カス(機関車で利用した石炭の燃えかす)を降ろすこと。5、6両連なって着く貨車から、わずか18分の停車時間中に一気に降ろす重労働だった。それでも「悲願がかなう」と喜んだ住民たちは、積極的にボランティアに励んだようだ。若尾さんによると、作業は何度もあり、130人いたこともあった。「スコップを片手に、列車が止まるなり必死で炭カスを降ろした」と若尾さん。52年12月、以前の停留所とほぼ同じ場所に駅がオープンした。

 駅ができると、町は様変わりした。60年に市営小松坂団地が完成したのを皮切りに、70年以降も駅に程近い市営高根団地など10以上も大規模住宅の開発が進んだ。駅ができる前は80戸ほどだった人口は、いつしか世帯数が2000を超える市内有数のマンモス地区に成長した。

 団地ができるのに伴い、駅から踏切を渡って北に延びる道の両脇には「松坂商店街」もできた。今は店の数も減り、少々寂しい雰囲気が漂うが、近所に住む小島みちヱさん(89)は当時を振り返ると笑顔になった。「ラーメン屋さんとか精肉店とかあって。にぎやかだった」

 昔、田んぼに囲まれていた駅周辺には今は住宅が立ち並ぶ。駅前にもたくさんの自転車が止められ、利用者の多さを物語る。若尾さんは「駅ができて、団地ができ、人が増えた。根本の発展に欠かせない存在」と話す。  

(渡辺真由子)

 

この記事を印刷する

新聞購読のご案内

PR情報

地域のニュース
愛知
岐阜
三重
静岡
長野
福井
滋賀
石川
富山

Search | 検索