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鉄道まるっと切り抜き帳

多治見の窯業支えた車両、40年ぶり修復進む 陶芸家で鉄道ファンの加藤幸兵衛さんら尽力

修復を進める貨車移動機を見つめる加藤さん(右)と笹田さん=多治見市で

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運転席周辺の手入れをする笹田さん。バスのようなペダルが特徴だ=多治見市で

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 古くから焼き物の一大産地として栄えてきた多治見市で、地場産業の発展に尽くしたにもかかわらず朽ち果てようとしていた鉄道車両が、地元の陶芸家らの手で40年の時を超えてよみがえりつつある。うわさを聞き付けて滋賀県から駆け付けた鉄道ファンとの2人3脚で「産業遺産として伝えたい」と修復が進められている。   

 同市大畑町の耐火物メーカー「TYK」(東京窯業)で戦後、工場内の引き込み線に使われていた「C2形式」で「貨車移動機」と呼ばれる。1949年に旧国鉄で製造され、耐火れんがなどを積んだ貨車を近くの東濃鉄道笠原線・市之倉口駅までけん引していたが、1978年の笠原線廃止で引退し、工場敷地内の草むらに埋もれていた。

 救い主となったのは、人間国宝の陶芸家を輩出した同市市之倉町の窯元「幸兵衛窯」の7代目にして、熱心な鉄道ファンでもある加藤幸兵衛さん(72)だった。15年ほど前、工場の外を通り掛かって気付き、牛込進社長(当時)に引き取りを求めた。殺し文句は「せめてレールの上に載せてあげたい」だった。

 ただ、鉄道模型を50両も持つ鉄道ファンとはいえ、本物の車両の修復までは手が及ばず、保管用に敷いたレールの上で朽ちゆく姿に心を痛めていた。

 そこへ昨年秋、全国で廃車の保存に取り組む鉄道ライターの皮膚科医笹田昌宏さん(46)=滋賀県甲賀市=が「直させてほしい」と申し出て、共同作業が実現した。鉄道専門誌の投稿欄に散発的に寄せられていた目撃情報を手掛かりに、加藤さん宅を訪れたのだった。

 戦後の物資不足の中、バス用のエンジンを流用し、自動車のようにペダルでアクセルやブレーキを操作する特殊な車両だったことから「現存するのはここだけだ」と小躍りしたという。

 4月から休診日を狙って既に3回、手弁当で足を運んでいる。当初はボディーの鉄板がさびて穴が開き、床の木材も腐って雑草が生えていたが、アルミシートで穴を埋めて木を張り替え、写真を手掛かりにペンキで黄色に塗り直して往時の姿が見えてきた。

 エンジンの修復は難しいが、加藤さんは「産業遺産として地元で守り伝えたい」と意気込んでいる。修復が進む姿に「かわいらしく見えてきた。名前を付けてあげたいね」。

 笹田さんも「車両の魂がよみがえるのが何よりもうれしい」と汗をぬぐいつつ、作業に励んでいる。

 当面は作業のため見学できないが、夏本番には市民にお披露目する予定。10メートルほどの保管用線路を2倍に延ばし、人力で引いて走らせる考えもある。知り合いや陶芸家仲間からは「グッズを作ろう」とのアイデアも寄せられているそうだ。

(野瀬井寛)

 国鉄C2形式貨車移動機 駅構内での車両の移動などに使われ、1949(昭和24)年から140台製造された。省営自動車(のちの国鉄バス)から流用した40馬力の中古ガソリンエンジンを搭載し運行は時速10キロ程度。今回の車両は国鉄浜松工機部(現・JR東海浜松工場)で製造され、東海3県の国鉄駅を中心に活躍した後、TYKに移籍した。重さ5トン、全長約3.5メートル、幅2メートル。

 東濃鉄道笠原線 タイルや茶わんの一大産地として知られる多治見市笠原町の製品や原料を運ぶ目的で1928〜78年の間(旅客輸送は71年まで)営業した私鉄線。多治見駅−笠原駅の4.9キロを結んだ。TYKの工場に隣接して市之倉口駅があり、同社の製品も多数積み出した。44年の会社合併までは「笠原鉄道」。線路跡は大部分が遊歩道になっている。

 

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