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鉄道まるっと切り抜き帳

小型SLが木材運んだ線路の跡 中津川遊歩道公園

現在の中津川市役所付近を通っていた専用側線=市市史編さん室提供

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宿場の名を刻んだ石や植栽が設けられ、市民の健康づくりと憩いの場になっている「ミニ中山道」=中津川市本町4で

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 中津川市役所近くからJR中央線手前の市街地までを、中津川右岸に沿うように遊歩道が結んでいる。800メートル余りと散策に手ごろな距離で、市民には「ミニ中山道」として親しまれている。かつて、ここには線路が敷かれ、中津川上流の製紙工場に原料の木材を運ぶ列車が走っていた。

 中央線が当時の中津駅まで開通した6年後の1908(明治41)年、工業のまち・中津川の先陣を切り、中央製紙が操業を始めた。当時の中津駅から工場に延びる約4キロの軽便軌道が設けられ、馬やガソリンカーがトロッコを引いた。戦後間もなく、輸送力増強のため、通常の線路幅と同じ「専用側線」に昇格し、動力は蒸気機関車に変わった。

 工場のある尾鳩地区で過ごし続け、現在は区長を務める酒井孝行さん(63)にとって、木を運ぶ貨車は懐かしい存在だ。「小型の蒸気機関車が、4両ほどをつないで走っていた。歩くようなスピードだったから、競走した覚えもあるよ」と記憶をたどる。やがて輸送はトラックに取って代わられ、69(昭和44)年に側線の歴史は終わった。

 その後の線路跡は、72年に移転した市役所付近を境に、2つの道をたどり、工場に向かう南側は一般の道路になった。市街地を通る北側は、市内初の歩行者専用道路に姿を変え、80年代後半の整備事業を経て、公園としての趣が加わった。

 遊歩道沿いには、東の板橋から西の大津まで69宿の名を彫った石碑が順に立っている。当時、市都市計画課職員として担当した井口実さん(68)によると、長く遊歩道が親しまれるように、それぞれの文字は市民の応募作の中から選んで刻まれた。かつての中山道と交わる地点には、江戸と京都への距離を示す標柱を据えた。

 清流を生かしたポケットパークや季節感ある植栽、石畳をイメージした舗装など、当時の工夫は風景にすっかりなじんでいる。「例のない事業だった分、計画する面白さもあった」と、井口さんは振り返る。駅からの通勤路、園児の遊び場やジョギングコースと、整備から30年が過ぎた現在も、多彩な目的で人が行き交う。跡を譲った線路も、きっと本望だろう。

 

(福本雅則)

 

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