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鉄道まるっと切り抜き帳

「戦場にかける橋」の舞台 タイ・カンチャナブリ

泰緬鉄道のクウェー川鉄橋駅に入ってくる列車=タイ・カンチャナブリで

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クウェー・ヤイ川に架かるクウェー川鉄橋。アーチの橋梁は建造当初の姿を残している=タイ・カンチャナブリで

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 サトウキビやキャッサバ芋畑が広がるのどかな田園風景を抜け、バスで到着したのはタイのクウェー川鉄橋駅。線路を挟んだ高さ30センチほどの低いプラットホームの片側に帽子などを売る土産店が連なり、片隅にはこぢんまりとした駅舎が見えた。

 駅があるカンチャナブリ県は、首都バンコクから西に約130キロ。タイの1都76県の中で、面積は3番目に大きい。西側はミャンマーとの国境に接し、複数の国立公園が点在して、渓谷や川、森林など自然の宝庫として知られる。訪れた6月は雨期だったが、この日は晴天に恵まれた。

 カンチャナブリを一躍有名にしたのが、この地を舞台にした1957年公開の英・米合作映画「戦場にかける橋」だろう。第2次世界大戦中、旧日本軍がビルマ(現ミャンマー)への軍需品輸送のため、連合国軍の捕虜やアジア人強制労働者を動員した「泰緬(たいめん)鉄道」の建設を描いている。

 当時はタイ(泰)とビルマ(緬)を結ぶ鉄道として名付けられた。しかし、建設時の過酷な労働や劣悪な環境で連合国軍の捕虜約1万6000人、強制労働者約9万人が命を落としたともいわれ、英語圏では「死の鉄道」と呼ばれることもある。

 映画に登場する橋のモデルとなった「クウェー川鉄橋」は駅のすぐ近く。映画のクライマックスで橋は爆破されるが、実際には連合国軍の爆撃で損傷した部分を修復し、県都にあるカンチャナブリ駅から郊外のナムトック駅を結ぶ鉄路として今も現役だ。アーチ形の橋梁(きょうりょう)部分は建設当時の姿で、台形の橋梁が修復された。

 鉄橋が架かる川は、もともとは「メークロン川」と呼ばれていたが、映画があまりにも有名になったため、60年代に一部、「クウェー・ヤイ(大)川」と改称。日本では「クワイ川」と呼ばれるが、ガイドのサティット・アタクリッスナさん(50)(通称プーさん)が「タイ語の発音では『クウェー』が正しいんです」と教えてくれた。

 この橋を渡る列車は1日3往復。観光客はバスを使うことが多く、線路に下りたり、全長約300メートルの鉄橋を歩いたりして出発までの時間を過ごす。映画主題歌の「クワイ河マーチ」を思い浮かべながら、幅1メートルほどの線路の真ん中をのんびり歩いてみた。橋の両側に手すりはあるが、枕木の間から10メートルほど下の川の流れが丸見えだった。

 気温34度と汗ばむ陽気で、時折、涼しい風が吹き抜ける。川沿いの木々も静かに揺れる。歩いて渡る観光客らが列車の通過時によけるため、橋の上には所々に1・5メートル四方の待避所もある。列車はゆっくりと目の前を通過し、中の乗客と手を振り合うのも楽しい。

 対岸にいた大学生のシィーット・ニーナーンさん(23)は、友人の研究発表の手伝いで外国人観光客に話を聞いていた。カンチャナブリ南東の都市ナコンパトム出身で「ここには何度も遊びに来ているが、戦争の歴史のことはよく知らないし、学校でもあまり習わない」。周りの友人たちも頭を横に振った。

 「豊かな自然があるカンチャナブリは人気の観光地。週末には国内中から人が押し寄せる」とプーさん。政府観光庁によると、年間600万人ほどが訪れる。映画の舞台として知られるほか、風光明媚(めいび)な景色も人気。さらに12〜13世紀のクメール王朝の遺跡などが残る豊かな歴史文化も魅力だ。

 日本人にとっては複雑な気持ちになる歴史を持つ地。その重さを受け止めるとともに、遠くまで広がる緑とゆるやかな川の流れが、平和であることの価値を再認識させてくれた。

 文・写真 辻紗貴子

 

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