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鉄道まるっと切り抜き帳

充実の廃線跡ウオーク 東濃鉄道駄知線

鉄橋があったと思われる場所=土岐市駄知町で

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日帰りトンネルの入り口。周辺に木が生い茂っていた=土岐市駄知町で

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日帰りトンネル付近を走行する駄知線の写真=フォーラムの加藤恭平さん提供

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 現在のJR土岐市駅と駄知地区の間を結び、1974(昭和49)年に廃線となった東濃鉄道駄知線。廃線跡は遊歩道などに整備されているが、在りし日を知らない人も多いだろう。鉄道好きの記者は先月、失われた歴史を探ろうと、NPO法人「町づくりだちもんフォーラム」主催の「駄知線ウオーキング」に参加した。

 午前9時。集合場所となった土岐市のセラテクノ土岐駐車場には、40人ほどの参加者。山登りをするような装備の人もいる。軽装できたことを不安に感じつつ、出発。

 桜並木のアスファルト道や、竹林の中を50分歩くと、ところどころをコケに覆われた高さ5メートルほどの2つの石垣が見えてきた。案内役でフォーラム理事長の籠橋起久雄さんが「鉄橋を支えていたものです。あの上に橋があり、駄知線が走っていたわけです」と教えてくれた。

 向かい合った石垣の間を抜けると、不自然な段差のある草むらに遭遇し、思わず「駅のホームだ」と叫んでしまった。この段差はプラットホーム、停車場の跡。雑草が生い茂っているが、誰もが一度は見たことのある駅のホームである。

 しばらく休憩して、いよいよ山林へ。「ここを歩くんですか」と何度も聞きたくなった。前日までの雨でぬかるんだ土に足を取られる。軽装できたことを後悔しつつ、水たまりを避けながら30分ほど進むと、トンネルが見えてきた。その名も「日帰りトンネル」。

 通学で駄知線を使っていた地元の渡辺はつ江さん(69)は「懐かしい。この入り口はいつも見ていた」と記憶がよみがえった様子。200メートルほどのトンネルだが、安全を考慮し、入れるのは手前10メートルくらい。入り口には信号設備と思われる黒い箱もあり、鉄道が走っていた様子が思い浮かぶ。

 トンネルを後にし、廃線跡を整備した遊歩道などを歩いた。途中、踏切の跡や「駅を左折」と書かれた看板も発見でき、約3時間の充実したウオーキングになった。

 記者は小学生のころ、書道教室で好きな字を書く時、「駅長」「特急」と書くような子だった。今回廃線跡を歩きながら、思い出を語る人たちがうらやましく感じ、思わず「線路はつづくよどこまでも」と口ずさんでいた。

 フォーラムでは毎月第3土曜日に日帰りトンネル周辺の清掃などを行っており、参加者を募っている。今月は行わない。今後の予定はフェイスブックで「だちもんフォーラム」で検索するか、(問)籠橋さん=090(1789)4325

 (斎藤航輝)

 <駄知線> 土岐津駅(現土岐市駅)から現在の県道沿いを経由し、東駄知駅(現土岐市駄知町)までの全長10・4キロを結び、1924(大正13)年に全面開通した。陶器の輸送のため、地元窯業界が出資して「駄知鉄道株式会社」を19年に設立し、戦後電化されると、旅客運送が増加。町の人口が1万人だった65年には、1日にのべ13000人が利用したが、バイパスの開通やマイカーの普及とともに利用者は減少。72年7月、東濃地方を集中豪雨が襲い、土岐川に架かる橋が流されたの機に廃線となった。

 

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