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鉄道まるっと切り抜き帳

鉄道文化を後世へ 武豊の転車台

鉄道文化を伝える転車台=武豊町道仙田で

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修復、保存工事前の転車台(武豊町歴史民俗資料館提供)=武豊町道仙田で

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 武豊町里中の国道247号沿いに見える白い円形の屋根。下には1927(昭和2)年に設置され、鉄道の貨物車両の方向転換に使われていた転車台がある。直径7・25メートル。国内で唯一現存する「直角二線式」で、十文字形にレールが交わる。一時は忘れ去られていたが、子どもたちの願いで修復、保存された国の登録有形文化財だ。

 現在のJR武豊駅は転車台の約1キロ北にあるが、1886(明治19)年の開業当時は武豊停車場の名で転車台近くにあった。武豊線は、英国から船で運ばれてきた東海道線建設の資材を運搬するため、名古屋市の熱田駅まで県内初の鉄道として敷設。「武豊線がなければ、東海道線はできなかった」。町歴史民俗資料館の森田正樹館長(59)は誇らしそうに話す。

 1892年、現在の武豊駅に駅舎を移し、停車場は駅の一部になった。その後、停車場の隣にライジングサン石油(現在の昭和シェル石油)の油槽所ができた。一時は8500トンの石油や揮発油を貯蔵し中部地方の各地に輸送された。

 油槽所の構内にはレールが敷かれ、運搬の貨車を手で押していた。貨車の大型化に伴ってカーブを曲がるのが難しくなり、一気に方向転換できるようにと旧国鉄が転車台を設置した。「貨車を台に乗せ、前後に2人ずつ立って転車台を約90度回したそうです」と森田館長。

 やがて停車場は武豊港駅として独立、転車台は武豊港駅が廃止されるまで40年近く使用された。駅廃止後の敷地の一部は鉄鋼メーカーの所有となり、転車台の存在は忘れられた。武豊線開通100周年を記念し、近くに記念碑が建ったときも思い返されなかった。

 日の目を見たのは1999年。武豊小学校の5年生が記念碑を見学中に転車台を発見。草に覆われ、レールは無くなっていた。「大切な町の宝を残してほしい」と児童が当時の町長に保存を要望。町は鉄鋼メーカーから寄贈を受けて修復し、2002年に一般公開した。

 さらに町は転車台と周辺の土地を買収して広場として整備、09年には国の登録有形文化財となった。今は多くの車が行き交う傍らで、栄華を誇った鉄道文化をひっそりと伝えている。

 最近、森田館長は地元で転車台が「とろんてんぷ」と呼ばれていたことを知った。「私たちは転車台なんて言ってなかった」と話した90代の女性は、夫が転車台を回す仕事をしていたという。転車台は英語で「ターンテーブル」。「外国人の発音が『とろんてんぷ』と聞こえ、定着したのではないか」と森田館長は推測する。その愛称が現代でも広まり、転車台への愛着が深まればと願っている。 

(大槻宮子)

 

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