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シベリア抑留の記憶(下) 深世古峻一(京都支局)

日本人墓地を訪れた際、記念撮影をした原田さん(右)と山下さんの親子=ロシア・ハバロフスクで

写真

 アムール川のほとりにあるロシア・ハバロフスク市。中心街の北東、シラカバの木に囲まれた日本人墓地の前で、腰の曲がった父の目から涙があふれ出るのを娘の山下真由美さん(46)はただ驚きながら見ていた。そして、はっと気づいた。

 「いつまでお父さんが語れるか分からん。自分が代わりに語り部をせなあかん」

 舞鶴引揚記念館(京都府舞鶴市)で語り部を務めている原田二郎さん(94)は元日本兵で終戦後、旧満州(現中国東北部)で捕虜になり、ハバロフスクで抑留された四年間、施設建設などの強制労働に従事させられた。二〇一六年五月、約七十年ぶりに次女の山下さんとかの地を訪れた。

 「自分がつくった劇場や寄宿舎はどうなってるんやろか。当時は『できあがったらみんな日本へ帰れるで』って言うてたんやけど、少し前に帰ることになった。それやから心のどこかで気になってたんやろな」

◆日本人墓地で涙

 今も残る劇場や寄宿舎を見た時は懐かしそうにしていた原田さんも、日本人墓地にたたずむとふいに感情があふれ出たという。

 「昔は二、三十人をまとめて埋葬した。顔も名前も誰もわからへん。内地へ帰りたいという気持ちもあったやろし、終戦してからも奴隷みたいな扱いを受けてたんやと思うとな」

 舞鶴港に引き揚げてから、頻繁に見ていたハバロフスクの夢もその日以来、一切見なくなった。

 初夏の日差しが差し込む京都府綾部市の古民家。のどかな田園風景が広がる父の自宅で、山下さんは記念館の語り部になったきっかけを語った。

 「『肩の荷が下りた』って、お父さん泣いてたから。それだけ重い体験が言えなくなる時も来るんちゃうかなって」

 隣で娘の話を聞いていた原田さんは少し照れくさそうに、ハバロフスクの日本人墓地で山下さんと撮影した写真に視線を落とした。すぐに原田さんは笑顔で視線を上げ、「わしよりしゃべるのうまいでな」とほほ笑んだ。

 ハバロフスクから帰国後、山下さんは舞鶴市が取り組む記念館の語り部養成講座へ参加し、一七年七月に語り部としてデビュー。保健師として働く傍ら、月に一回程度、活動する。ただ、ハバロフスクに行くまでは関心がわかなかったという。

 「おしっこが凍るようなところに行っていたとは聞いていたが、具体的なことを聞こうとも思わなかった。ハバロフスクに向かう直前、同行するテレビ局の記者へ熱心に現地の地図を書いてて、ああ、ほんまに行ってたんやと分かったぐらい」

◆細部にこだわる

 語り部としては他の体験者の話も織り交ぜつつ、父の話をする時は「娘だからこそ語れることがある」と細部にこだわる。「持ち歩いていた芋袋の中身は何か」。「なぜ現地でもらった勲章を持って外を歩いていたのか」といった、来館者から受けた質問をさりげなく父から「あれはなんでなん」、「あの時はどうやったん」と聞き出し、次の機会に使ったりする。

 現在、十三歳の中学生から、体験者で最高齢の安田重晴さん(97)まで、約六十人が記念館で語り部として活動している。〇四年に市が語り部の養成講座を開始し、〇六年からは「舞鶴・引揚語りの会」としてNPO法人化。安田さんのような臨時の語り部や未成年以外は会に所属し、当番制で来館者の対応に当たっている。その中で、原田さん親子のように、近親者が語り部として後を継ぐケースは実はまれだ。

 帰還後に共産主義のレッテルを貼られるのを恐れ、家族にも体験を語らぬまま亡くなっていく抑留者が少なくないからだ。原田さんも「帰国後しばらくは山にこもっていた」と話すように人目を避け続け、人前で語り始めたのはほんの十年ほど前だった。

 九十四歳の原田さんが「ハバロフスクでは自分が最年少やった」と記憶していることからも、全国に散らばる体験者の語り部の大多数は、九十歳を超えていると推測される。体験者から直接聞く話は生々しく、口調の熱がすさまじい。安田さん、原田さんの語り口は昨日体験したことかのように力強く、シベリアの荒涼とした風景が目の前に浮かぶがごとくの切迫性を持っていた。

 リアリティーを継承するためには親子や近しい親族が語り部になることが一番良いと思う。細部も気兼ねなく聞くことができるし、感情移入もしやすい。まだ体験を語っていない抑留者がいるのなら、目の前にいる家族に、ありのままの体験を話してみてはどうだろうか。感情が入れば入るほど、近親者の共感を呼ぶはずだ。シベリアに関心を持たなかった山下さんを突き動かしたのは、初めて見た父の涙だったのだから。

 

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