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「岐阜いのちの電話」20年 近藤統義(岐阜報道部)

岐阜市内にある相談室のブース。相談員たちは悩みながら電話を受けている

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 「これから自殺するので最期に話を聞いてほしい」。もし赤の他人にこう持ちかけられたら、あなたはどうするだろう。思いとどまるよう必死で説得するか、ただ聞き役に徹するか。こうした電話を何度も受けてきたベテランの相談員たちも日々、葛藤しながら受話器を握っている。

 悩みを抱える人の相談に応じ、自殺予防に取り組む「岐阜いのちの電話」(岐阜市)が五月、開設から二十年を迎えた。人生や家族、仕事や対人関係…。年間五千件を超える相談の内容は幅広い。

 「電話をかけてくるには覚悟がいる。そのエネルギーを頼りに、相手の話に耳を傾けるんです」。開設当初から副理事長として尽力し、昨年引退した常富佳子さん(85)が、現役時代の最も印象深い体験を教えてくれた。

◆最期の声を残したい

 十五年以上前だったか。ある日の未明、午前三時ごろに一本の電話を取った。声の主は中学生の男の子。「いま自分の部屋で死ぬ準備をしている」。自宅からかけてきたという。「つらいことばかりで生きている意味がない。本心を話せる人もいない。この世にいた証しとして、最期に僕の声を耳に残してほしい」

 それまでの人生をぽつりぽつりと話し始める男の子。深刻な言葉と思い詰めた様子に、常富さんは胸騒ぎを覚えつつ傾聴に徹した。その内容について多くは語らないが、「親の愛情を受けられず、よく生きていてくれたというほど酷だった」と振り返る。

 話し終えると、男の子は言った。「ありがとう、これで心残りなく死ねます」。とっさに「いま電話を切ったら死んでしまう」と思った常富さん。涙ぐみながら慌てて伝えた。「まだ十分聞けていないから、もう少し私に付き合って。一生に一度の最期に、あなたがそんなふうに死ぬのは嫌。もっといい死に方を一緒に考えよう」

 それから、どれほど話しただろうか。時計を見た記憶はない。外から聞こえた牛乳配達のバイクの音が、朝の訪れを告げていた。夜が明けて街が動きだせば、死を選ぶことはないという感触があった。「もし嫌じゃなかったら、今夜もう一度電話してきて」。最後にこう呼びかけ、受話器を置いた。

 だが、その日はベルは鳴らなかった。数日後、別の相談員が男の子から電話を受けたことを知る。「僕は孤独だったけど、知らないおばさんが泣いてくれた。もう少し頑張って生きてみる」。彼はこう言ったという。その後の運命は分からない。立派な大人になっているだろうか。「いま生きていてくれると信じている」と、常富さんは語る。

 別の相談員の女性も「遺言めいた話をされ、死の間際に触れて怖かった」と打ち明ける。親切心のつもりで始めたが、あまりに重い現実に辞めようと思ったこともあった。そんなとき、仲間から「精いっぱい聞いたなら、あとは本人の選択。そこまで背負わなくていい」と助言され、気持ちが少し和らいだという。

◆無償のボランティア

 無償ボランティアである相談員に認定されるには、傾聴の基礎などを学ぶ講義と実際に電話を取る実習を一年半にわたって受ける必要がある。そのなり手が全国的に不足しているのが、関係者の悩みの種だ。

 日本いのちの電話連盟(東京)によると、二〇一六年は六千三百人で、ピーク時の〇一年から二割減った。岐阜では七十五人が登録するが、実働は五十人余り。多い年は二十人以上あった応募も、ここ数年は五人前後にとどまっている。

 公にされていない岐阜市内の相談室を特別に見せてもらった。間仕切りされたブースには電話機が三台。受付時間外でもベルが何度も鳴っていた。二十四時間対応の日があるため、仮眠スペースも備えている。

 取材の中で相談員たちは、いのちの電話を「心のごみ箱」と表現していた。話し手が吐き出したい思いの捨て場所となり、身を軽くしてほしいとの願いが込められている。常富さんは「『助けたい』という上からの姿勢ではいけない。良き隣人となり、相手の下にいないとごみは拾えない」と力説する。

 私自身、真剣に自殺を考えたことはないが、「ダメ人間」と自己嫌悪によく陥る性分だ。どこでもいい、誰でもいい。努力や自己責任が強調される競争社会で、弱みを見せられる存在が必要だとつくづく感じている。自分らしく生きられるのなら、立ち止まったっていい。いのちの電話は、そんな逃げ道の水先案内人になっているのかもしれない。

 

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