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メルヘンハウスの45年(下) 川原田喜子(文化部)

店への思いを語る三輪哲さん(左)と長男丈太郎さん=4月20日、名古屋市のメルヘンハウスで

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 閉店から二十日ほどたった店内で、日本初の児童書専門店メルヘンハウスの創業者三輪哲さん(74)が語り続ける。「ずっと、理念と経営のバランスに悩みながらやってた。理念ばかり追いかけると経営が成り立たないことは、店を始めてすぐ分かったから」。話題は、個人書店を取り巻く厳しい現状へと移っていた。

 「最近はものの買い方がずいぶんシビアに変わってきた」。哲さんが打ち明ける。「子連れの若い母親が一冊絵本を手に取って、まず何をすると思いますか」。表紙を眺めるわけでもなく、わが子にぱらぱらとめくって見せるわけでもない。真っ先に裏表紙に目をやる。たいてい、そこに値段と対象年齢が書いてあるのだ。子どもの年や予算と合わなければ、さっさと棚に戻すだけ。店員と話すより“効率的”なのだろうか。「そういう人が増えました」。日本一会話の多い本屋に、と思ってきた哲さんには悲しい変化だった。

◆撮影し通販で買う

 「お客さんの感覚が変わってきてる。書店がショールーム化してるんです」。隣に座った長男の丈太郎さん(42)が続ける。親子で楽しそうに本を選び大きな紙袋いっぱいに買って帰る常連客は、目に見えて減った。代わりに増えたのが本を見るだけで何も買わない人たち。目星を付けた本の題と作者をメモして店を出て行く。もっと露骨な場合、表紙をスマートフォンで堂々と撮影して帰る人もいた。実際に本を買うのはおそらく、二〇〇〇年に日本国内でサービスを始めた「アマゾン」をはじめ、急速に広がったインターネット通販。客は、どこでも買い物ができて重い本を持ち運ばなくていい便利さを選ぶようになっていた。

 「それが世の中のニーズだから、しかたない」。丈太郎さんは厳しい現実を冷静に受け止めていた。業界、特に個人書店の不況ぶりは、名古屋へ戻る前に出版社で営業職を経験した時、痛いほど見聞きした。「うちはお客さんとのつながりが強いから生き残れるかと思ってたけど、ふたを開けたら同じでした」。丈太郎さんは前向きに新しいイベントなどを企画し、好評だった。「それくらいでは挽回できないような、大きな時代の波が押し寄せていたんです」。売り上げは、全盛期の半分以下になっていた。

 このまま店を続けるかどうか。父子が話し合いを始めたのは一六年のことだった。毎朝スタッフが出勤するまで一時間ほど、店で二人で過ごす時間がある。その時に収支の数字とにらめっこしながら「その話ばっかりしてたな」。哲さんが、寂しそうに息子に笑いかけた。

 閉店を切り出したのは創業者自らだったのだろうか。「いや、僕からです」と丈太郎さん。本を売るおもしろさを実感している中での、つらい決断だった。「メルヘンハウスという“存在”は成功してるけど、経営面が追いついてない。そのアンバランスさに苦しみました。やめたくないけどお金がついてこない。でもやめたくない。その繰り返しでした」。ずるずる続ければ手の付けられない状況になるかもしれない。「現実を見て。これだけ売り上げが減ってるんだよ」。父に説いた。

◆完成形ゆえの撤退

 自分が店に関わるようになって四年間、ずっと経営は厳しい状態。どういうふうに良くするか、父になかったアイデアを出せないか。必死で考えた。「でも分かったのは、この店は父がつくり上げた完成形ということ」。世の中のニーズに合わせて続ける努力はできたかもしれない。例えば雑貨店やカフェを併設して、売り上げを補う個人書店もある。「でもそれは、父や僕が思い描くメルヘンハウスとは違う。絵本を売るのがメルヘンハウスなんです。進化しない店と言われたらそれまでですが…」。そして父子は、夢みた形のままで店を終わらせることを選んだ。「メルヘンハウスは今が完成形で、もうそれは維持できない。一つの理想郷はつくれたと思います」

 息子が語る店への思いを、静かに目を閉じて聞いていた哲さん。四十五年は長かったですか、と聞くとゆっくり首を振った。「開店したのがついこないだみたいだね。もう一度あの時に戻りたいなあ。苦しかったけど、楽しかった」。今、こんな願いを抱いている。「メルヘンハウスが、何十年たってもみんなの心の片隅にあってほしい。小さいころに読んだ本って、ずっと心の中に沈殿して残ってるでしょ。そういう本みたいな店でありたい」

 米国帰りの青年が名古屋に開いた小さな書店の、四十五年間の物語。どうか覚えていてほしいと私も願う。三輪父子が伝えてきた本を読む楽しさ、大好きな本と出合う喜び。そして、本が育んだ想像の翼は、大人になってからも私たちを助けてくれるということを−。

 

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