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メルヘンハウスの45年(上) 川原田喜子(文化部)

閉店の日を迎え、来店客と別れを惜しむ創業者の三輪哲さん(右)と長男丈太郎さん=名古屋市千種区のメルヘンハウスで

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 半世紀ほど昔。米国ロサンゼルスのダウンタウンに近い通りに、小さな書店があった。緑色の窓枠が目を引く店構え。ひげをたくわえた五十がらみの陽気なおやじさんには、子どもの本がたくさんそろっているのが自慢だ。雑然として、でもどこか温かみを感じる本の並べ方は店主の人柄が表れているようだった。

 ふらりと立ち寄っては、コーラを飲みながら、たどたどしい英語でおやじさんと絵本談議をする青年がいた。後に名古屋で日本初の児童書専門店メルヘンハウスを創業する二十代半ばの三輪哲さん(74)だった。南山大を出て商社に入ったが「子どもに関わる仕事をしたい」との思いを断ち切れず、四年で退社。知人を頼って米国に来た。

◆心を打たれた言葉

 書店の目立つ場所に置かれていたのが、米国の作家バージニア・リー・バートン(一九〇九〜六八年)の絵本。今も世界中で読み継がれる『いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう』は、挿絵が黒一色で描かれている。「子どもの本はやっぱりカラフルな方がいいですよね」。つぶやいた哲さんに、おやじさんはすかさず「いやいや、子どもたちが自分で色を考えて読むのがいいんだよ」。豊かな想像の世界で遊ばせてくれるのが良い絵本さ、というその言葉を、哲さんは忘れなかった。

 車で米国を一周した時も、新しい町に着くたびに「子どもの本を一生懸命やってるところはありますか」と書店を探した。子どもたちが本に出合う場所があること、そして読み継がれる絵本を守ってゆくことの大切さ。「そうだ、日本に子どもの本専門の本屋をつくろう」。夢の輪郭がくっきりと見えた。「僕も本屋をやりたいんです。子どものための本屋です」「そうか、本屋は大変だよ。でも、がんばろうな」。旅先の店主たちは、こう言って笑いかけた。

 帰国した哲さんが十二坪の小さな書店を開いたのは、七三年三月のこと。「漫画や雑誌を置かない本屋で食べていけるわけないだろ」。散々に言われながらも友人知人に開店資金を借り、何とかスタートした。「最初はぜんぜん本が売れなくてね。一日に一冊も売れないこともありましたよ」。夜の十時になっても客が全く現れず、なぜか自分で本を買って帰った日もある。「今考えると冗談みたいなことをやってたね」。オフィス街での雑誌の配達で食いつないだ時期も長かった。

 長男の丈太郎さんが店に連れてきた友達に「なんだ、漫画がないじゃねーか」と言い放たれたこともある。品ぞろえに不平をもらす客も多かった。それでも自分のやり方を曲げなかった。「子どものころに何を読むかは本当に大切。その子の人生にずーっと関係すると思いますよ」。世の中での人気や売れ行きに関係なく、自分が読んで良いと思った本しか置かない。もう一つこだわったのが、お客さんとの対話だった。「本との出合いは人との出会い。日本で一番会話の多い本屋にしたかった」。お子さんは何歳ですか。何が好きですか。こんなおしゃべりから、その子のために、とっておきの絵本をすすめる売り方。哲さんの熱意は少しずつ、着実に客層を広げていった。

◆物語を語り始める

 ささやかな、でも忘れられない思い出がある。ある日、近くの小学校に通う女の子三人組が放課後に遊びに来て『わたしのワンピース』(にしまきかやこ、こぐま社)を読んでいた。ウサギの女の子が白い布で縫ったワンピースの模様が、花畑や雨など周りの景色に変わってゆく物語。ふと、一人が語り始めた。「東山動物園に行って、キリンと握手したら、ワンピースはキリンの模様になりました」。どうやら、お話の続きを考えているらしい。「次にゴリラと握手をしたら、ワンピースはゴリラの模様になりました」。すらすらと紡がれてゆく物語。「最後はどうなるんだろう」。見守る哲さんに聞こえてきたのは「赤ちゃんウサギをだっこしたら、ワンピースはウサギの模様になりました。ウサギのワンピースは、ウサギの模様です。おしまい」。みごとな終幕だった。「ちゃんとお話ができてる。感動したなあ」。『わたしのワンピース』は哲さんの大好きな絵本になった。

 本から自由に想像の世界へ羽ばたく子どもたち。それはまぎれもなく、あの「ひげのおやじさん」が教えてくれ、哲さんが伝えたかった「絵本の楽しさ」だった。

      ◇

 四十五年の歴史に幕を下ろしたメルヘンハウス。常連客から出版関係者、絵本作家まで惜しむ声は今も絶えない。子どものために、本の素晴らしさを伝えてきた場所が名古屋にあったことを、その最後の日々を取材した記者として、せめて、少しでも詳しく、書きとめておきたい。

 

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