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「サリバン」たちの奇跡(2) 添田隆典(生活部)

点字で書かれた教材を読む小学6年生ごろの森さん。眼鏡は「保護」のためで視力は当時からほとんどない

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 本当に見えなくて聞こえないのですか? 筑波技術大大学院生の森敦史さん(26)に、ぶしつけに聞いた。私の質問を通訳介助者の女性が指文字に換え、森さんが手触りで解読し、指文字での返答を女性が言葉に換えていく。

 「目の前に人が立っているのはぼんやり分かる程度です。顔などは判別できません。補聴器を着けると、物の音と人の声は区別できますが、誰の声か、何の音かは分かりません」

 だとしたら、どうやって言葉を身につけたのか?

 「身振りなどのサインは三歳のころから覚えたようなんですが、自分では…」。なぞを解くには生い立ちを知る人に聞くしかなさそうだ。故郷岐阜県を訪ねた。

 森さんは生後四カ月で、目が追視しないと分かり、その後、耳も聞こえない可能性があると診断された。両親は病院を転々とした。

 「どこも信頼できる先生がいなくて。『お母さん、大丈夫ですよ』って気休めばかりで、その一言に本当に傷ついたんです。どうなるか不安でいっぱいなのに、『何が大丈夫なのよ』って」と母・貞子さん(57)。夫の博俊さんと一年近く病院をさまよった末、偶然たどり着いたのは、とある開業医だった。眼科医は診察後、看護師に敦史さんを預け、両親だけを診察室に残し、淡々と切り出した。

◆救われた「道はある」

 「残念ですが、今の医学では手だてがありません」。わずかな希望も打ち砕く一言に両親は言葉を失い、涙に暮れた。ただ、医師は二人を励ますように言い添えた。「ちゃんと生きていけます。道はありますから」。その一言が救いとなった。

 「思い切り泣いたけど、すとんとふにも落ちたんです。さんざん病院を転々とさせられて、最後にきちんと説明してくれたから。その先生が『ちゃんと生きていける』って言うんだから、信じて気持ちを切り替えようって」

 貞子さんは病院回りに終止符を打ち、敦史さんを目と耳それぞれのリハビリ施設に通わせた。けれど、そこでも壁にぶつかった。

 「視覚の方は音を頼りに音が鳴るようなおもちゃ、聴覚の方は見えるからカードを使った遊びをするわけですよ。でも、うちはどっちも役に立たない。先生たちも、こんな子初めて見たって感じでおどおどしているのが分かった」

 偶然、リハビリ施設で耳にした一言が転機になった。「目も耳も不自由な子を受け入れている施設があるそうよ」。地元岐阜市にある難聴児通園施設「みやこ園」のことだった。貞子さんはすがる思いで入園を決めた。敦史さんが二歳八カ月の春だった。

 森さん母子を迎え入れた当時の園長、伊藤泉さん(76)が振り返る。

 「お母さんがずっと手をつないだままで『怖くないよ、大丈夫だよ』って。でも不安なのはお母さんの方。『怖いなら(入園を)やめてもいいのよ』って言ったんです」

◆密着が成長の妨げに

 貞子さんは、外では常に敦史さんと手をつなぎ、息子が手を引く感触で意図を察知していた。のどが渇いていると思えば、コップの水を取り、おしっこが近いと思えば、トイレに連れて立った。

 「悲しいとかひもじい思いをさせたくない。そばにいなきゃ、というのが無意識にあったんでしょうね」と貞子さん。その愛情が成長の妨げになっている、と伊藤さんの目には映った。

 「お母さんが常にそばにいるから、困ることがない。怒ったことも泣いたこともなかった。何の不安もなく、とにかく生きているだけだった」

 伊藤さんは実験を試みる。ある日、貞子さんを離し、教室で敦史さんを一人ぼっちにしてみた。母親が手をつないでいないとどうするか、観察するために。寂しくて泣きだすか、動き回って母親を捜そうとするか。予想はことごとく外れ、敦史さんはただ立ち尽くすだけだった。時折、一歩前へ踏み出すが、母の気配がないと感じるや、すぐに立ち止まった。

 「本人は不安だからお母さんに来てほしい。でも、常に受け身だったからどうしていいかわからない。むやみに動くよりお母さんを待った方が安全だと、本人なりに理解してたんでしょうね」

 時間にして三十分、伊藤さんが近寄るまで敦史さんがその場を動かないことに貞子さんはショックを受けた。

 「見えない、聞こえない子の現実が、初めて分かった、というか、じゃあ、私はこの子に何を伝えれば、自分から一歩を踏み出せるようになるんだろうって」

 それが敦史さんの独り立ちに向き合う第一歩になった。

      ◇

 ヘレン・ケラーの幼少期を描いた映画「奇跡の人」は、実は家庭教師のサリバンを指している。生来、見えない、聞こえない、話せない、の三重苦で国内初の大学院生になった森敦史さんにも無名の教師たちの献身があった。そんな「サリバン」たちの奇跡を追う。

 

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