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「サリバン」たちの奇跡(1) 添田隆典(生活部)

通訳者(右)の手話に触れながら、大学院で受講する森敦史さん=茨城県つくば市の筑波技術大で

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 「彼なら、メールで直接やりとりできますよ」。電話口の声に、思わず聞き返した。「あの…、見えなくて聞こえないんですよね?」。そんなやりとりから取材はスタートした。彼とは、森敦史さん(26)。生まれつき目はほぼ見えず、耳もほとんど聞こえず、話すこともできない。ヘレン・ケラーと同じ「三重苦」だといえば分かるだろうか。盲ろう者の支援団体に取り次ぎを頼んだところ、冒頭のやりとりになった。

 取材依頼のメールを転送してもらい、待つこと数日。本当に、本人からメールが返ってきた。

 「はじめまして、森敦史と申します。ご依頼のありました取材に関してですが、取材の計画・スケジュール等がありましたら、まずはご説明いただけますでしょうか?」

◆どう言葉を習得?

 発信しているその場に介助者はいないはずだ。ならば、見えない目で、私のメールをどうやって読解しているのか。聞こえない、話せない中で、どう丁寧語、敬語の使い分けを習得したのか。そもそも、目からも耳からも、音や文字の手掛かりがないのに、どうやって言葉を会得できたのか。キツネにつままれたような気分だった。

 半信半疑で返信すると、再び、完璧なメールが返ってきた。

 「日程ですが、3月の15−17日、21−23日で調整が可能かと思います」

 待ち合わせた日、都内の喫茶店に、森さんは通訳介助者の女性と現れた。小柄でリュックを背負ったカジュアルな装いは、どこにでもいる大学生そのもの。当時は都内のルーテル学院大社会福祉学科を六年かけて卒業し、筑波技術大大学院(茨城県つくば市)への進学が決まったばかり。生まれつきの盲ろう者では日本で初めての大学生、大学院生だった。

 「健常者の学生に交じって、どうやって大学の講義を受けていたんですか?」。質問と同時に、森さんの手と触れ合う介助者の手が、せわしなく動く。五十音を指の形で表す指文字。森さんのように目も不自由な人は、この「触手話」で会話する。森さんも指文字で返し、介助者がすらすらと言葉にしていく。

 「大学が手話通訳をつけてくれたので、先生の話を触手話で通訳してもらい、板書は別のボランティアがノートに。とても助かりました」

 登下校はどうやって?

 「大学近くで母とアパート暮らしでしたが、毎年学内で付き添いの友達を募集し、一緒に登下校しました」

 日常生活で困ることは?

 「そうですねえ…。家の中のどこに何があるかは手探りでわかるし、シャワーは一人で浴びられます。火を使う料理はダメですけど、電子レンジを使って自分でレトルト食品を温めます。ジャガイモを切るぐらいはできるので、肉じゃがは作れます。買い物は通訳介助者にお願いすれば、付いてきてくれますし」

 じゃあ、メールは?と、最初に感じた疑問をぶつけると、森さんはリュックの中から、点字キーボードを一回り小さくしたような機械を取り出した。

 「これです。点字専用のスマホだと思ってもらえればいいかなあ。墨字(書かれた文字)を点字に変換して表示し、点字で打つメールは墨字に変換して送信します。大学のリポートもこれで打っていました」

 スマホ。日本語訳が見つからず、そのまま根付いたこの名称と実物が、彼の中でどう結び付いたのだろうか。こちらの混乱を察したのか、今度はリュックから冊子を取り出した。

◆深い理解を示す卒論

 「これを読んでもらえると、もう少し僕の障害のことがわかるかもしれません」

 中をめくると、この日一番の衝撃が待っていた。

 「第3節 研究方法 事前準備として、A児の誕生からファンタジー理解に至るまでの12年間の記録・実践報告などの概読を終えてみると、自己(筆者)による自身の過去に生じた事象のプロセスを事例的に研究する場合、次の3点が…」

 A4サイズにざっと六十ページ。森さんの卒業論文だった。生い立ちを振り返りながら、盲ろうという障害を考察した内容。目次、本論、まとめ、巻末には引用文献まで。

 いくらボランティアの手を借りても、深い思索と難解な学術用語を駆使する論文は、本人の理解抜きには不可能だ。見えなくて、聞こえなくて、話せなくて、彼はどうやってそんな言語空間に分け入ったのか。ただただ、ぼうぜんとするばかりの取材初日だった。

      ◇

 ヘレン・ケラーの幼少期を描いた映画「奇跡の人」は、実はサリバン先生を指している。見えない、聞こえない、話せない、過酷な条件を乗り越えた偉人の陰にあった人。森さんと、彼の教育を担った人々の「奇跡」を追った。

 

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