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若くして選ぶ「未婚の母」 芳賀美幸(整理部)

妊娠中、スマートフォンのアプリで体調の変化を管理する美咲さん

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 昨年秋から取材を始め、先月、生活面で連載した「家族が欲しくて」。未婚のまま出産を選んだ美咲さん(21)=仮名=の言葉が印象に残った。「非行していたとき、友達で『親のために変わりたい』という子がいたけれど、私は、それが『子どものために』というだけ」。家庭をきずくことに人生の希望を見いだそうとする彼女の切実な思いが伝わってきた。

 取材のきっかけは、非行少年を支援するNPO法人の紹介だった。少年院を出たばかりの美咲さんから、ホームページに公開されていた代表者の携帯番号に連絡が来たという。

 待ち合わせ場所に現れた美咲さんは、おなかの張りが目立ち始める妊娠六カ月。私の妹と同じ年齢だったが、彼女の経験から紡ぎ出される言葉はそれまでの私自身の人生からは想像もできないほど過酷な道のりだった。

 「帰る場所がないのが一番つらかった」。児童養護施設では、いじめや暴力があり、母方の祖母に引き取られたが、折り合いが悪く、援助交際、風俗へと自分を受け入れてくれる存在を求めてさまよった。親という自分を守ってくれる絶対的な存在がいないがゆえに、必死に「帰る場所」を探しては挫折し、絶望する。周囲から「場当たり的」と見られた行動も、自立へのもがきそのものだった。

 二度入った女子少年院は、今も支えとなるほどの「心のホーム」となった。取材中に、美咲さんは時折、「大人にまっとうな生き方を教えてほしい」と口にした。更生に寄り添う女性教官を母親のように思ったのも、そうした思いが背景にあった。

 出産を反対する周囲の声に、美咲さんが「私は親に育ててもらえなかったけど、これまでに楽しいこともたくさんあったし、生まれてきてよかった」と話したとき、はっとさせられた。「育てられない」という理由で彼女の出産を否定することは、目の前にいる彼女自身の生を否定することと同じではないのか。「教えてくれる大人」を求めていた美咲さんの気持ちに社会が応え、彼女自身が、やっと見つけた人生の希望の種を一緒に育てていくことこそ大切なのではないだろうか。そう気づかされた。

 彼女を支援していた相談員の女性(48)は、「美咲が子育てができる可能性に希望を見たい」と母子を引き離す方針を変えるよう児童相談所と掛け合った。児相側の女性職員も、美咲さんの社交的な性格を挙げて「個人的には、彼女なら困ったときには周囲に頼って、手助けを借りながら子育てができるんじゃないかと思っていた」と打ち明けてくれた。しかし、事が起きたときに責任をとらねばならない組織としては、極力リスクは避けたい。希望とリスク、個人的な思いと組織的な判断の間で揺れる行政の支援者らの葛藤を垣間見たように感じた。

 美咲さんが十代後半の時から見守ってきた民間支援団体の女性(58)は、女子少年院まで自腹で新幹線に乗って面会に駆け付け、励ましの手紙も送り続けた。そんな関係にもかかわらず、出産前の直接取材を断った理由を後に「自分がしてきた支援に自信を持てずにいたから」と語った。

 さしのべた手を振り払って、非行に走り、深みにはまっていく。そんな十代の美咲さんを見てきて、「子育ては難しい」と感じていた。だが、長男を出産して三カ月がたったころ、美咲さんに久しぶりに会いに行って、育児中心の生活を続ける姿に成長ぶりを感じ、涙が出そうになったという。「やっと自分がしてきたことは無駄でなかったと確信が持てました」

 公的な、あるいは私的な立場で支える人たちの、より多くの手でリスクを共有することが、この先の希望を育てていくのではないだろうか。

 美咲さんに初めて会った時に、「将来の夢どころか、自分はちゃんと家庭をもつことができるかもわからない」と話していた。あれからほぼ一年。非行少女を支援する団体の特集番組が放映されていたことが話題に上がったときに、彼女がふと言った。

 「私は何があっても見捨てないでいてくれる人を望んでいた。今はまだ難しいけど、いつか自分も同じような寂しさを抱える人を支える側になれれば」

 近年の人口動態調査では、十代を中心に未婚のまま出産を選択するケースが増えている。不遇な生い立ちゆえに新たな家族に希望を求めて、という理由も少なくない。一人でも多くの人が小さな手助けを持ち寄って、希望をつくっていく社会を願ってやまない。

 

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