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不登校支援の西濃学園 (揖斐川通信部・広田和也)

一人一人の生徒たちと真剣に向き合う岩佐和輝さん=岐阜県揖斐川町の西濃学園で

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 普通ってなんだろう−。不登校の中高生が通う岐阜県揖斐川町の西濃学園をこの一年八カ月取材し、分からなくなるときがたびたびあった。学園の教師岩佐和輝さん(30)の話を聞くと“境界線”はますますあいまいになった。

 岩佐さんがここで教師になろうと決めたのは、大卒後の一年間、ボランティアとして学園で過ごした六年前にさかのぼる。

 「それなら自分も発達障害なんじゃないか」

 教師や臨床心理士が発達障害について、学園での体験をもとに話し合う報告会に参加したときのこと。「教室で座っていられない」「注意力が散漫」「相手の気持ちを理解できない」「つい傷つける言葉を言ってしまう」。障害の特徴がいくつか自分に当てはまることに、がくぜんとした。

◆理由なく行けなく

 岐阜県下呂市生まれで、小中高校の十二年間は皆勤賞。教室では人気者で、学校は「楽しい場所」という印象しかない。ところが、三人きょうだいで、四つ上の姉と四つ下の妹は不登校だった。姉は中学二年から保健室登校。部活動以外は何もできなかった。妹は高校一年の終わりごろから休みがちになり、二年に進むとほぼ通えなくなり、そのまま退学してしまった。

 二人ともいじめに遭ったわけではない。妹が不登校になったときには家族会議が開かれ、登校を促す両親に妹は「放っておいてほしい」。本人も学校に行けない理由が分からなかったという。姉も岩佐さんに「行けない理由はないんだけど、何でか分からん」と話していた。

 報告会で出た事例の多くは、姉と妹と同じでいじめが原因ではなかった。むしろ、親や友人、先生など周囲と少し歯車がかみ合わないだけで、学校に行きづらくなる。きょうだいの中で自分だけが不登校にならなかったのは、たまたま周りの人間関係に恵まれていただけだった、ということに初めて気づいたという。

 「不登校に悩む子たちの環境にいたら、僕もそうなっていたんじゃないか。自分の魅力なんかではなく、周りが生かしてくれたんだと思うようになった」

 翌年に教員免許を取得し、迷わず学園の教師になった。初任給は、手取りで十二万三千円。当初はボーナスもなかった。結婚した今も月収は二十万円ほどで、児童養護施設で臨床心理士として働く妻の年収よりも百万円ほど低い。

 後悔はない。周りの人とぎくしゃくしがちな“生きづらさ”に苦しむ子供たちを助けることが「自分自身の成長につながる」という確信を持てたから。「それでも学校は楽しく過ごせる場所なんだよ」と伝えたいと思っている。

 学園の寮に泊まり込んだ取材の日々では、教職員たちの真剣さに引きつけられた。関西系のノリで慕われる兄貴分、演劇を通じて生徒の魅力を引き出そうとする元料理人、走る楽しさを伝え続ける陸上部の顧問。誰にも体験が裏打ちするそれぞれの教育観があった。

 あるとき、数学の補習授業を見学していると、一人の生徒が「私、英語が好きなんだけどな」と発言。教師が「英語の発音、本当に良いもんな」と応じて、授業が少し脱線していったことがあった。授業計画に縛られる一般の学校なら置いてきぼりにされてしまう生徒を「今がこの子を伸ばすとき」と直感したら、そのチャンスを逃さない。そんな教師の意気込みに胸を打たれた。

◆自己主張を大切に

 生徒を見るときは、自己主張を大切にする。ある朝、寮で学園長の北浦茂さん(68)の見回りについていくと、男子たちの部屋は服が脱いだままで散らかし放題。だが北浦さんが「こちらの方がむしろ問題です」と言った部屋は、整理されすぎて生活感がしなかった。「こういう子の心を開かせるのが、私たちの務め」。無機質な部屋は、閉ざした心を表しているという。

 日本海側のまちへ、浪人しながら医学部を目指す卒業生に北浦さんと会いに行く道中、発達障害の事例を聞いていたとき、私もハッとした。「それなら自分にもある」。そのとき、岩佐さんのように気づいた。二歳の時に父をがんで亡くした自分が今日まで成長できたのは母や親戚、友人や隣に住む人たちのおかげで、偶然恵まれただけだったのではないか、と。

 「不登校の生徒は日本の宝物。彼らを元気にすることが、必ず日本の将来につながると信じています」

 テストの点数だけがものさしの教育は、はじきだされる子供たちを増やし続けるだろう。時代の風潮にあらがうように、信じる教育を貫く。困難な道を進む教師たちを応援したい。心からそう思う。

 

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