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メメント・モリ

第6部「別れの後で」 (5)つながる思い出

夫が利用していた施設でボランティアをする島本多江さん(右)は、「今度は自分が寄り添いたい」と話す=東京都小平市のケアタウン小平で

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 風呂上がりの高齢男性の髪を、ドライヤーで乾かして整える。「すてきですね」「ありがとう」。東京都小平市にある在宅療養支援施設「ケアタウン小平」。市内に住む島本多江(かずえ)さん(59)は、ボランティアでデイサービスを手伝い始めて十一年になる。

 多江さんは二〇〇七年七月十一日、夫の一道さんを五十歳で亡くした。米国に留学して経営学修士(MBA)を取得し、独立して人材斡旋(あっせん)会社を経営していた四十九歳のとき、脳腫瘍を発症した。手術を受け、放射線治療を約五カ月続けたが、主治医は多江さんに「これ以上やれることはない。ご主人との時間を大切にしてください」と告げた。

 断ち切られた希望。「まだ中学生の息子がいるのに、どうしたらいいのか」。それでも現実を受け入れるしかなかった。覚悟を決めたときに思い出したのが、元気だったころの一道さんの言葉。「最期を迎えるときは、わが家がいい」。多江さんは訪問看護を利用しながら、夫を自宅で看取(みと)ろうと決めた。

 市役所でもらったケアマネジャーの名簿を頼って電話をしたが、「そこまで重い症状の方は、うちでは難しい」と口々に断られた。その中の一人に「相談してみては」と紹介されたのが、ケアタウン小平だった。〇五年に開設し、訪問診療や看護、デイサービスで在宅での看取りを支えている。同様の施設は当時、全国にほとんどなかった。

 「これから奥さんも同じチームとして一緒にやっていきましょう」。ケアタウンの医師にそう言われ、多江さんはほっとした。オーストラリアとフランスに留学していた長男と長女は「父さんと過ごす」と帰国した。当時中学生だった次男と家族五人。一道さんは周りのことが徐々に分からなくなっていったが、家族みんながテレビを見て笑っていると、その姿を見てうれしそうに笑った。

 「最期まで耳は聞こえています」。医師の言葉でベッドを囲み、泣きながら「お父さんありがとう」と別れを告げて、一カ月が過ぎたころだ。

 お礼を言うためにケアタウンを訪れた多江さんは、職員に「ご主人、デイサービスでよくこの場所に座っていましたよね」と声を掛けられた。「確かにそこにいた」と思うと悲しくなった。ただ、生前の夫を知る人たちと話をすると、心が癒やされた。ボランティアを始めたのも、施設にいると生前の夫とつながっている気がしたからだ。

 多江さんは週に一度、生前の夫が通っていた水曜日にデイサービスを手伝っている。利用者の送り迎えや話し相手、入浴後の身支度の補助、食事の盛り付け…。「今日のデザートはあんみつですよ」と伝えると、利用者の男性は「子どものころから甘い物が好きで」と、照れくさそうに笑った。

 「夫の命が限られていても、私たちは幸せな日々を送れた」。それはこの施設があったからだと、多江さんは思っている。「今度は自分が」と通い始めたケアタウンの利用者は、かつての夫と同じように死と向かい合って生きている。

 =終わり

 (取材班=青柳知敏、北島忠輔、小笠原寛明、杉藤貴浩、坪井千隼)

 連載にご意見をお寄せください。〒460 8511(住所不要)中日新聞 社会部「メメント・モリ」取材班 ファクス052(201)4331、Eメールshakai@chunichi.co.jp

 

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