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メメント・モリ

第6部「別れの後で」 (1)延命なしの決断

夫の仏壇に手を合わせる女性。延命をしなかった判断が正しかったのか、分からなくなることがあるという=愛知県豊田市で

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 あれから五年が過ぎた今も、自分は本当に正しかったのか分からなくなる。

 愛知県豊田市に住む女性(64)は二〇一三年七月二日、食道がんを患っていた夫を亡くした。享年六十二。息を引き取る六時間前に自宅の洗面所で倒れ、救命救急センターで点滴の応急処置を受けた。

 夫の様子を見て、主治医は告げた。「延命はどうしますか? 頑張っても三、四日ですが」。意識がない夫は眉間にしわを寄せ、拭いても拭いても体から汗が噴き出した。

 「つらいんでしょうね」。主治医の言葉を聞き、女性は夫が以前から話していた最期の迎え方を思い出した。「管につながれて生かされるなら、死んだ方がましだ」

 駆けつけた長男と長女の意見も聞き、主治医に「苦しむだけで治らないなら、延命はしない」と伝えた。「ゆっくりお別れができるように」。主治医は個室を用意し、夫を移して点滴を外した。「今までありがとう」「もう頑張らなくていいよ」。まだ温かかった手を握りながら、家族は代わる代わる声をかけた。

 本人が望んでいた延命なしの別れ。女性は「いい最期を迎えられた」と思っていた。ただ、その日の夕方、鹿児島の実家から到着した夫の母親の姿を見て、心が揺らいだ。

 八十六歳で息子を亡くした義母は足が弱り、付き添いの家族に支えられながら葬儀場に入ってきた。遺体の前で泣き崩れ、「冷たいね」と言いながら息子の腕をさすった。その姿に、女性は「せめてお母さんが到着するまで延命すれば、温かい体に触らせてあげられた」と悔やんだ。

 女性が結婚したのは一九七二(昭和四十七)年。その年から日記を書き続けているが、夫が亡くなった日からしばらくは「書けない」とだけ記して空白になっている。死別から二年後の日記でようやく「前を向きましょう」と自分を励ましているが、「本当に延命をしなくて良かったのか」との思いは強まっていた。

 一五年六月に営んだ三回忌の法要。実家から訪れた夫の母親に、女性は床に手を付いてわびた。「延命をしなかった私のせいで、つらい思いをさせてしまいました」。その時、普段は優しい義母が「そんなこと、二度と言うな」としかった。「息子が死んだのは、あなたのせいじゃない。連れ添ってくれて感謝しているんだから」

 今、九十一歳になった義母は、夫の弟と鹿児島で暮らしている。週に一度、日曜日の夜にかける電話では、「体に気をつけなさいよ」と気遣ってくれる。女性は重い腎臓病を患っており、人工透析を続けなければ命を落としてしまう。

 悔いのない別れだったはずなのに、透析で訪れる病院で患者仲間と家族の話になると、寂しさがこみ上げる。「主人と旅行に行った」と聞かされたときは、笑顔でいる自分がつらかった。自宅の居間には夫の座布団が今もそのまま置いてある。

 あの時、「延命はしない」と決めた自分。長男も長女も「間違っていなかった」と言ってくれるが、時々自分を責めたくなる。泣き崩れた義母の姿や寂しさを思い出すと「本当にあれで良かったのだろうか」。迷いを抱えたまま、女性は来年、夫の七回忌を迎える。

     ◇ 

 延命の有無を含め、どんな最期を迎えるのか。本人の意思を尊重しても、見送った家族が後悔や自責、喪失感にさいなまれることがある。重い決断と死別の後を生きる姿を追う。

 (この連載は全五回です)

 連載にご意見をお寄せください。〒460 8511(住所不要)中日新聞 社会部「メメント・モリ」取材班 ファクス052(201)4331、Eメールshakai@chunichi.co.jp

 

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