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メメント・モリ

第5部「最期を決める」 (7)生き続ける 

人工呼吸器で生きる桜場猛さんに話し掛ける妻の二三代さん。医療機器のモニターに2人の姿が映り込んだ=東京都板橋区で

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 九十三歳の母の体には、鼻から胃まで細いチューブが入っている。その先端からゆっくりと栄養剤を流し込むのが姉妹の日課だ。

 一日三回、合わせて五時間近く。姉(69)と妹(63)は母のベッドを少し起こし、体内で栄養剤が逆流しないように見守る。合間を縫って汗っかきの母を着替えさせ、床擦れができないように姿勢を変える。「命が続いてほしい」。その思いだけで、姉妹は同じ日々を繰り返す。

 相模原市の自宅マンションで母が倒れたのは、二年前の夏だった。食べ物や唾液が食道ではなく、気管に入って起きる誤嚥(ごえん)性肺炎。九十歳を過ぎても身の回りのことは自分でできていたが、三カ月近い入院で一変した。口からはほとんど食べられないほど衰弱し、退院後の体重は四〇キロすらなかった。

 訪問診療の医師は本人と姉妹に選択を求めた。「このままだと、あと数日持つかどうか。経管栄養を始めますか」

 チューブを常に鼻から入れた生活は、時に苦痛を伴う。肺炎が再発する恐れがゼロになるわけでもない。「もう、いいよ」。ほぼ寝たきりのまま新たな治療を始めることを、母は最初、嫌がった。

 だが、妹は涙を流して訴えた。「お願い、経管栄養をやって。生きていて」。姉妹の心にあったのは、戦後の物がない時代に家計を支え、自分たちを育てあげてくれた母の存在の大きさ。妹が叫ぶように何十分も懇願すると、母は首を縦に振った。「分かったよ」

 以来、母はベッドの上でほとんどの時間を過ごしている。この先、元気な姿を取り戻すのは難しいかもしれない。時折「苦しい」とうめき、痰(たん)が絡んで言葉を出しづらそうなこともある。そんな時は二人とも「お母さんは、私たちのためだけに命を延ばしているのかも」と思い悩む。

 それでも、姉妹にとって母と過ごせる時間は幸せだ。二人とも若いころから仕事に打ち込んできた人生だった。「あなたが子どものとき、デパートで迷子になってね…」。今になって母から初めて聞ける思い出話。不機嫌な時、介護する腕をつねってくる痛みさえもいとおしい。

 母の命は、一本のチューブによってつながれている。「でも、それは無駄なことじゃない」。姉妹はそう言い切る。

 東京都板橋区の桜場猛さん(55)も人工的に命を保っている。「シュー、シュゴー」。人工呼吸器の音がするベッドの脇で、妻二三代さん(62)が話し掛けた。「母の日に、花の一本も持ってこなくてさ」

 猛さんは大手IT企業に勤めていた三十三歳のとき、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断された。十五年ほど前から意思疎通ができなくなり、呼吸器だけでなくチューブからの栄養も欠かせない。二三代さんはその夫に、息子や娘の話を語り掛ける。返事はないが「受け止めてくれている」と信じている。

 体が動かなくなり、思いが伝えられなくなった後も呼吸器を使い続けるのは、猛さん自身の意思だった。二三代さんは理由を聞いていない。ただ、病気になるまで家事や育児を分担してくれた姿を思い出し、「子どもの成長を見守るために、生きることを選んだのではないか」と考える。

 「こんな状態で命をつないでも…」。他のALS患者の家族にそう言われたことがある。自分自身、「本人はこの状態を本当に望んだのだろうか」と考え込んでしまうこともある。それでも、猛さんは家族の日常の中で生きている。介護で触れる夫の体は温かい。

 =終わり

 (取材班=青柳知敏、小笠原寛明、杉藤貴浩、森若奈、豊田直也)

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