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メメント・モリ

第5部「最期を決める」 (6)セデーション 

夫の小寺正春さん(前列左)、船戸崇史医師(後列中央)らに囲まれ、写真に納まるすみ子さん。花見から1カ月余りで亡くなった=2013年4月、岐阜県海津市で(正春さん提供)

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 満開の桜。ストレッチャーに乗った妻は、こぼれんばかりの笑みだ。隣には不慣れなVサインを決めた自分。介護ベッドが置かれていた部屋の壁には今も、妻と出掛けた最後の花見の写真が飾ってある。

 岐阜県養老町の小寺正春さん(78)は五年前、自宅のこの部屋で妻すみ子さん=当時(70)=を看取(みと)った。「すーっと眠ったんだ」。がんの激しい痛みに苦しんでいた妻が穏やかな最期を迎えられたのは、「セデーション」という医療行為を選んだからだ。

 「鎮静」を意味するセデーションは、死期が迫った患者を薬で眠らせ、身体的な苦痛を取り除く行為。一九九〇年以降、終末期の緩和ケアの現場を中心に広がってきた。

 日本緩和医療学会のガイドラインは、患者の耐えがたい苦痛に加え、余命が数日、医療の選択肢が他にない−など、実施に厳しい要件を課している。死を目的とし、意図的に命を縮める安楽死とは異なるが、「結果的に自殺ほう助と変わらない」と異論を唱える医師もいる。

 「最後の手段だが、優れた処置であることには違いない」。すみ子さんの主治医だった船戸崇史医師(59)は、そう考える。元々は大学病院の外科医だったが、九四年、がん末期の患者と向き合うクリニックを養老町で開設した。

 乳がんを患っていたすみ子さんに出会ったのは、二〇一二年。それまでかかっていた病院で「もう治療法がない」と言われ、船戸医師を訪ねてきた。鎮痛薬の種類や量を調整し、すみ子さんは一年ほどは普段通りに生活できた。しかし、がんが背中に転移した一三年の春、自分の力では歩けなくなった。

 満開の桜を見に出掛けたのは、その直後だった。自宅のベッドでふさぎ込むすみ子さんを見て、船戸医師が誘った。クリニックの職員がストレッチャーに乗せ、隣町にある堤防沿いの桜並木に行った。最初は渋っていたすみ子さんだったが、咲き誇る桜に「来年も連れてきて」と喜び、団子を二粒ほおばった。

 だが、約一カ月後、病状が急変した。「なんでこんなにえらいの」。激しい痛み。すみ子さんに投与された鎮痛薬のモルヒネの量は、治療を始めたころの四倍に増えていた。それでも改善せず、痛みが治まる気配は無かった。

 「奥さんは持って週の単位です」。船戸医師は夫の正春さんに余命を告げ、こう続けた。「セデーションという方法があります。薬で眠らせます。恐らく痛みは感じません。ただ、もう起きることもありません」

 もうろうとした意識の中で苦痛を訴える妻を見てきた正春さんは、船戸医師にうなずいた。「早すぎても遅すぎても、許されない。本人はぎりぎりまで頑張った」。妻から「楽になりたい」と聞いていた正春さんの決断を、長男と長女も理解して受け入れた。

 数日後、セデーションを翌日に控えた夜だったと記憶している。妻から思わぬ言葉をかけられた。「お父さん、何も残してやれなくてごめんね」。正春さんは「ええ、ええ。言うことなしや」と答えたが、それが夫婦の最後の会話になった。

 五月十一日午前十時四分、鎮静剤を投与されたすみ子さんを家族全員が囲んでいた。薬で眠りにつくまで順番に告げた別れ。七十年の人生を「ありがとう」「お疲れさまでした」とねぎらったとき、すみ子さんは涙をこぼしたという。

 連載にご意見をお寄せください。〒460 8511(住所不要)中日新聞社会部「メメント・モリ」取材班 ファクス052(201)4331、Eメールshakai@chunichi.co.jp

 

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