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メメント・モリ

第5部「最期を決める」 (1)呼吸器外し

人工呼吸器の本体(後方)から酸素を送り出す管。長女らはこの病院で母親の延命治療の中止を決断した=滋賀県栗東市の済生会滋賀県病院で

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 その瞬間、ずっと閉じたままだった母の右目が、ほんの数秒だけ開いた。意識はなく、自分たちの姿が見えたのかは分からない。

 四月二十日午前十一時三十五分、済生会滋賀県病院(同県栗東市)の四階にある個室。四人の子どもが見守る中、ベッドに横たわる母の口から医師が人工呼吸器のチューブを引き抜いた。直径数ミリの透明な先端部。口から気管まで二十センチほど挿入され、酸素を送り込んでいた。

 「お母さん、楽になったね」。長女(76)は三人の妹とともにベッドへ寄り、素顔に戻った母の頬を両手で包んだ。妹たちは優しく足をさすった。そのときに開いた右目。再び目を閉じた母は七日後、九十八歳で息を引き取った。

 元気だった母が自宅で倒れて救急搬送されたのは、呼吸器を外す二日前、四月十八日の夜だった。救命救急センターの医師は付き添った長女に重い脳出血だと告げ、「厳しい言い方ですが、命は助かっても意識は戻らないと思います」。そして続けた。「機械につなげたりする延命治療、どうしますか」

 不意に迫られた選択。万が一の際の医療処置について母と話したことはなく、長女は「私の判断だけでは…」と返すしかなかった。三人の妹のうち、二人は県外で暮らしている。全員が病院へ到着するまでの処置として、母に人工呼吸器が取り付けられた。

 機械と体を管でつながれた母。その姿を見て、長女は十五年前に別の病院に入院し、九十歳で亡くなった父を思い出した。

 脳梗塞で倒れ、栄養を送る管を鼻から入れられて、最後の十カ月を過ごした。医師は延命の選択肢に気管切開を挙げたが、長女は断った。時には鼻から栄養剤がこぼれ出し、見ていられないこともあった父を、これ以上苦しめたくないと思ったからだ。

 父の気管切開を拒んだとき、母は何も言わなかった。「だから自分自身の時も、そこまでの延命はきっと求めない」。そう考えた長女は病院に集まった三人の妹に、考え抜いた決断を明かした。「呼吸器、抜いてもらおう」。母が倒れた翌日、四月十九日のことだ。

 「この前の里帰りを、お母さんとの最後の思い出にする」「呼吸器を外して、はい終わりというのは嫌だ」。妹たちはそれぞれの思いを口にしたが、医師が席を外した後に一時間ほど話し合い、翌日に人工呼吸器を外すことでまとまった。

 「簡単な決断ではなかった」と、長女は振り返る。倒れる一カ月前、母と家の近くを散歩した。空が晴れわたれば、飛行機雲を探すのが習慣。「あ、見つけた」。二人で空に手を合わせ、百歳まで生きられるようにと願った。「延命中止は正しい判断だったと今でも思うけれど、ずっと生きてほしいという思いもあった」

 長女らの申し出で延命の中止処置をした滋賀県病院救命救急センター長の塩見直人医師(49)は「多くの家族は重い選択に迷いながら、大切な人にふさわしい最期を決めていく」と話す。センターでは家族らの同意を基に医師や看護師、ソーシャルワーカーら多くの職種が話し合い、患者にいったん取り付けた人工呼吸器を外すなど、回復の見込みがない延命治療の中止を行っている。

 呼吸器外しは十年前の二〇〇八年七月、富山県の射水市民病院で関与した医師二人が殺人容疑で書類送検(その後、不起訴)されるなど、医療現場で長年タブー視されてきた行為だ。今も刑事責任を恐れて判断を控える医師が多い。

 だが、塩見医師は考える。「ただ命を延ばすことだけが、患者の生を尊重するとは限らない」

       ◇ 

 いつ、どこで、どのように人生の幕を下ろすのか。それを決めるのは誰か。医療の発達や価値観の多様化によって、一人一人にそんな問いが突きつけられる時代になった。最期の選択に悩み、揺れる現場を追う。

 (この連載は全七回です)

 連載にご意見をお寄せください。〒460 8511(住所不要)中日新聞 社会部「メメント・モリ」取材班 ファクス052(201)4331、Eメールshakai@chunichi.co.jp

 

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