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メメント・モリ

第4部「自分を遺す」 (4)エンバーミング

亡くなった夫馨さんとの歩みを振り返り、自身もエンバーミングを希望する大平愛子さん=埼玉県所沢市で

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 りんとして、さわやかな表情。肌にはみずみずしさがあり、ほおずりすることもできる。そんな夫が横たわるベッドの隣に布団を敷き、夜は明かりを落として「もう寝るね」。朝が来れば「おはよう」と声をかけた。

 埼玉県所沢市の大平愛子さん(88)は今年三月四日まで、夫の馨さんとそうやって過ごしていた。次々に自宅を訪ねてくる夫婦の友人たちは口をそろえた。「まるで、生きているみたいだね」。肺炎だった馨さんは一週間前の二月二十五日、九十二歳で既に亡くなっていた。

 亡骸(なきがら)を殺菌して傷みの進行を抑えたのは、死の直後、馨さんに施された「エンバーミング」と呼ばれる技術だ。愛子さんは以前、がんの闘病後に亡くなった知人の葬儀で、生前を思わせる穏やかな顔を見た。馨さんへの施術は、その表情を覚えていた愛子さんが依頼した。

 エンバーミングは欧米で広がり、国内では一九八〇年代に広がり始めた。日本遺体衛生保全協会(事務局・神奈川県平塚市)の資格認定者らが、専用の施設で遺体の血管にホルマリン系の防腐剤を送り込み、数日から数十日の保存に耐えられるようにする。

 費用は十五万円前後。業者は遺族の同意を得て処置している。闘病による顔のやつれや事故での欠損にも、特殊なシリコンを注入して対応する。協会によると、全国の処置件数は二〇〇〇年の一万百八十七件が、昨年は四倍を超える四万二千七百六十件に増加した。

 愛知県一宮市にエンバーミングの施設を持ち、年間約六百件の処置をしている葬祭業「のいり」。野杁晃充(てるみつ)社長(41)は「医療の発達で闘病期間が長くなり、元気だったころとかけ離れた姿で亡くなる人も目立つ」と話す。生前の希望者数は男女ともほぼ変わらない。最近では、がんの放射線治療で顔が赤くただれ、「死後の別れのために、何とかきれいにしてほしい」と訴えた高齢の男性がいた。

 六十年連れ添った夫の馨さんを見送った愛子さんも、「死んだ後は自分にもエンバーミングをしてほしい」と思っている。「別れの場は死者の晴れ舞台なんだ」。そう感じる光景を、馨さんが亡くなったときに目の当たりにしたからだ。

 医師だった馨さんは「苦しんでいる人の力になりたい」と、各地のハンセン病療養所で患者に向き合い続けた。葬儀前日の三月三日、馨さんの遺体を乗せた車が勤務先だった療養所に立ち寄ると、生前を知る元患者たちが外に出て「お世話になりました」と手を合わせてくれた。

 愛子さん自身は十五歳で終戦を迎え、看護師になって九州から上京。その後は保健師、助産師となり、今も現役として若い母親たちに授乳法を教えている。夫との間に子どもはなかったが、仕事を通じて多くの生と死を見つめてきた。「私がへその緒を切った赤ちゃんは二百人、知り合ったお母さんは二万人以上いる」

 最愛の夫を亡くした自分がこの先、どんな最期を迎えるかは分からない。葬儀は立派でなくていい。「ただ、最後に会いに来てくれるみんなが笑って私をなでてくれるような、そんな顔で旅立ちたい」

 自宅には、公証役場で以前作成し、自身の葬儀の仕方などを定めた証書がある。愛子さんは近く、そこに「エンバーミング」と書き加えるつもりだ。

 連載にご意見をお寄せください。〒460 8511(住所不要)中日新聞社会部「メメント・モリ」取材班 ファクス052(201)4331、Eメールshakai@chunichi.co.jp

 

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