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メメント・モリ

第4部「自分を遺す」 (2)献体

医師や看護師への感謝で献体を決めた辻剛宏さんは「『ありがとう』とだけ言って死ぬわけにはいかへん」と話す=大津市の滋賀医科大付属病院で

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 もう何度目になるだろうか。パジャマの下には手術の痕がいくつも残っている。四月十一日、滋賀県竜王町の辻剛宏(よしひろ)さん(76)はがんの放射線治療を受けるため、大津市にある滋賀医科大付属病院に再び入院した。

 辻さんは自分が死んだ後、病院に隣接する大学に自分の体を提供することを決めている。医学生の解剖教育などのため、無報酬で体をささげる「献体」。学生は遺体を解剖し、医学に必要な知識を身に付ける。滋賀医科大には現在、ホルマリンで処理した四十人の遺体が保管されている。

 辻さんは五十八歳のときに腎臓がんが分かり、最初の手術を受けた。その十年後に股関節と右足の薬指にもがんが見つかり、リンパ節などを切除。医師に「五年後の生存率は20%」と告げられたときは、ショックで気を失った。

 術後も苦しんだ。傷口のガーゼを替えるときはあまりの痛さに大声で叫んだが、病棟の看護師がどうしたら和らぐか相談し、胃カメラなどで使うスプレー式の麻酔を用意してくれた。一人で用を足せなくても嫌な顔はしなかった。「こんなにしてくれるんか」。お礼を考えたときに思い出したのが、以前に聞いたことがある献体だった。

 年平均、約六千九百人。全国の医大や専門団体には、献体の新規登録が相次いでいる。解剖後の火葬代を大学が負担するため、経済的な理由だといわれることもあるが、登録者と面談している順天堂大医学部の坂井建雄(たつお)教授(64)は「そういう人はいない」。ほぼ全員が辻さんと同じように「医療のお世話になったから」と話すという。

 昭和の中ごろまで、医学生による解剖は身寄りのない人の遺体がほとんどだった。一九八六年度に献体がこれらの遺体を上回り、二〇一六年度は99・4%に達した。篤志解剖全国連合会(東京)の前会長で、杏林大医学部の松村譲児教授(65)は「『遺体を切り刻むのは残酷だ』という過去のイメージが変わり、献体希望者が家族の同意を得やすくなった」と話す。

 一方で、遺体の保管場所が限られることから、新規登録を制限する大学が目立っている。名古屋大など愛知県内の五大学に遺体を提供している献体団体・不老会(名古屋市)は、本年度から年間の登録者を三百人に制限。浜松医科大は八年前に募集を中止したが、問い合わせは毎日のようにあるという。

 辻さんは最初、保険証の裏にある臓器提供の意思表示欄に「全部つこうてくれ」と書こうとした。ただ、それならば体を丸ごと提供した方が役に立つのではないかと考えた。担当医に伝えると「ありがたい」と言ってくれたが、やはり希望者が多く、登録まで一年以上待った。

 家族は妻(73)と二人の息子夫婦、そして六人の孫。辻さんは自動車のエンジンメーカーなどに六十四歳まで勤めた。休日も会社に出て、妻に「お父さん、会社と結婚したんやろ」と言われたことがあるが、献体をしたいと打ち明けると「思う通りにしたらええ」。それだけ言い、同意書にサインをしてくれた。

 あれから八年。がんは右脚の大腿(だいたい)部に転移している。死ぬのは怖いし、孫の将来も見たい。「でも、この体を役立ててくれれば、僕はそれでいい。『ありがとう』とだけ言って死ぬわけにいかへんやん」

 連載にご意見をお寄せください。〒460 8511(住所不要)中日新聞社会部「メメント・モリ」取材班 ファクス052(201)4331、Eメールshakai@chunichi.co.jp

 

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