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<先生! 教育の場をたずねて> 福島市・渡利中 菅野俊幸教諭(50)

学会発表が終わった渡利中学校の特設科学部員たちをねぎらう菅野俊幸教諭(右)。部員の人物評は「好きなことなら何時間でも没頭する先生」。この日も発表方法の改善点などを熱心に伝えた=福島市内で

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 東日本大震災や東京電力福島第一原発事故を経験した子どもたちと、どう向き合うか−。この7年、被災県の先生たちはそれぞれに思い悩み、手探りで進んできた。福島市渡利中学校で理科を教える菅野俊幸教諭(50)が出した答えは「特設科学部」。部員が研究テーマに据えるのは復興だ。

 「津波で多くの農地が塩害土壌になりました。除塩に適したアブラナ科の植物を調べ、耐塩性が高く、地上部にナトリウムイオンを蓄積するのはハダイコンだと分かりました」。昨年十二月下旬、福島市内であった生物工学会北日本支部主催のポスターセッション。渡利中学校二年の末永夏生(なつき)さん(14)が来場した大学教授らに実験結果をとうとうと説明していた。

 「これは食べられるの?」「少ししょっぱいけれど、大丈夫でした」。はきはきした受け答えに、聞いていた人たちがうなずく。隣では他の二年生四人が「機能性野菜をつくるには」「ヨーグルトの発酵時間を早められないか」といったテーマで発表していた。

◆地元への思いが根付いたテーマ

 五人は、同校の特設科学部員。低カリウムの機能性野菜をつくるのは、付加価値を付けて、今も風評被害に苦しむ農家を助けるため。ヨーグルト発酵は、廃棄される地元産牛乳から生分解性プラスチックを作るために必要な過程だ。小学校一年生で被災した彼女たちの研究は復興と一見無関係のようで、地元への思いがちゃんと根を張っている。

 先輩たちが残した成果を基に、顧問の菅野教諭とテーマを絞ったのは昨年六月。三年生と四カ月間、集中して実験に取り組んだ。全員が兼部しているため登校後の時間や昼休み、夏休みを割いた。大学院生らに交じって発表を終え、貝沼李美(りみ)さん(14)は「聴いてもらえて良かった。大変だけど、福島の役に立っていると思えてうれしい。転校した友達が一人でも戻ってくると良いなあ」と語った。

復興に関する研究成果を発表する部員たち。専門家からは時に厳しい指摘も受ける=福島市内で

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 菅野教諭は震災から二年たった二〇一三年、同校に着任した。川を挟んで隣の福島第一中学校からの異動だったが、生徒の様子は違った。「『どうせ俺ら残されてんだ』とか投げやりな発言が多かった。授業が成立せず、荒れた感じがありました」と振り返る。

 原発からは約六十キロ離れているが、局所的に空間放射線量が高くなる「ホットスポット」が点在。メディアが押し寄せ、生徒は見知らぬ人から「渡利に住んでて怖くないの」と声を掛けられた。全校生徒約四百人のうち三十人が引っ越す一方、沿岸部からは二十人が転入。「表面上は変わらないけれど、子どもには大きな変化だったんですよね」

 不安定な言動の半面、生徒は復興への思いをよく口にした。「俺らも放射線は嫌。だけど大人は子どもにやらせたくないって側溝掃除もやれねんだ」「先生、できるものってなんだろな」。自身も被災し、四人の子を抱えて気が張る日々。「でも郷土愛っていうか、そういう気持ちは子どもたちと一緒だった。だから悩みました。何をしてあげたらいいのかなって」

◆傷ついた自尊心 取り戻すために

 心に浮かんだのは、前任校で顧問を務めた自然科学部だった。華々しく活躍する運動部や合唱部などを横目に「何を目標に頑張ればいいのか」と部員に聞かれ、菅野教諭は全国数万点の応募がある「日本学生科学賞」への挑戦を提案した。ヒメオドリコソウが河川敷で発生する謎を追った研究は最終審査の十五校に残り、優秀賞に輝いた。「自分たちもやればできるという実感が部員に湧いた瞬間だった。渡利の子たちも同じように自尊心が傷ついているんじゃないか。科学部が、気持ちに応える一つの方法かなと思ったんです」

 理科の授業で「復興に向けて何かやってみねえか」と呼び掛けると、三年生二人が手を挙げた。五月に部を立ち上げ、初年度は夏に放射線量が低い室内でホウレンソウを育て、塩害の実験をした。研究成果は継がれ、今の三つの研究へと発展している。

実験に取り組む部員たち=福島市渡利中で(菅野教諭提供)

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 復興について尋ねると、菅野教諭は「まだ震災は続いている」と表現した。昨秋に消費者庁が発表した調査では、放射性物質への懸念から福島県産品を買うのをためらう割合は13・2%。過去最低だったが、東北の他県より依然高い。

 県産米が買いたたかれたり、福島から他県へ避難した子どもたちがいじめられたり。部員で二年の大滝広子さん(14)は「農作物が売れず、牛乳も飲まれない。震災から何年もたっているのに何だかしっくりこない」。現実に触れるたび、今も部員たちの心は波立つ。

 部は毎年、「科学賞」で入選する快挙を果たしてきた。自尊心は育っている。でも菅野教諭は活動を通して、他に二つの力をつけてほしいと願う。一つは科学的、客観的に物事を考える力。風評被害は続くだろうが、「根拠のないことに惑わされないように」。

 もう一つは諦めない心だ。研究は試行錯誤の連続だ。仮説通りに結果は出ず、ホウレンソウが枯れることもしばしば。「復興と同じ。うまくいかないから終わり、ではなく世代を超えて続いていく。だからこそ、粘り強さを身につけてほしいんです」

◆教師とは… 子どもの気持ち聞き、受け止める

 難しい質問ですねえ。わし、教師だからって、上から一方的に教えるのは違うと思うんです。子どもたちの発想やアイデアにいまだに勉強させられ、動かしてもらっていることが多いですから。共に学ぶっていうことでしょうか。

 転勤がありますから、これから福島の他の地域に行ったら、また渡利とは違う子どもたちに出会うでしょう。震災の被害が大きかった沿岸部の「浜通り」に行ってみたい気持ちもあります。どこに行っても、そこにいる子どもたちの気持ちを聞き、受け止める人でありたいと思っています。

 (世古紘子)

 <すげの・としゆき> 1967年、福島県保原町(現伊達市)生まれ。福島大教育学部卒業。子どもたちに自然の不思議さを教えたいと理科教員になり、同県郡山、福島両市の中学校に勤務。県教育委員会から派遣された同大大学院教育学研究科で、山形県境にある吾妻山の小哺乳類の変遷を研究し、修了。県内市町の中学校をへて2013年から同市渡利中学校に勤務。

 渡利中学校の特設科学部の活動を通して復興の担い手育成に力を入れ、14年に第63回読売教育賞の最優秀賞、16年に第12回小柴昌俊科学教育賞の奨励賞を受賞。

 

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