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高校生・大学生

技術積み上げ、世界12位 名工大ソーラーカー部

ゴール後に記念撮影するチーム=名工大ソーラーカー部提供

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 名古屋工業大(名古屋市昭和区)のソーラーカー部が10月、オーストラリアで開かれた世界最大級のソーラーカーレースに手作りのマシンで参戦した。参加38チーム中、半数以上がリタイアする悪天候の下、12位の快挙。創部から22年、歴代の部員の熱意や周囲の支えで成し遂げた。

 南半球の日差しの下、「ホライゾン17」の銀色の太陽光パネルと青色の車体がまぶしく光っていた。十月八日朝、「ブリヂストン ワールド・ソーラー・チャレンジ」(BWSC)がスタート。予選の結果が良かった名工大チームは、二番手で発車した。

 「いよいよ始まった」と、ソーラーカー部部長の三年田中宏樹さん(20)は緊張の面持ち。前部長の四年原田直毅さん(22)は「トップ集団にどれだけ食い込めるか」とワクワクしながら、目の前を走るマシンを指令車の中から見守った。

 BWSCでは、北部ダーウィンから南部アデレードまで主に砂漠地帯の三千キロ強の公道を縦断する。二人は、名工大が初参戦し、十六位だった前回大会を経験。先輩の奮闘や世界の走りを見て「もう一度出て上位を目指したくなった」。

 モノづくりが好きで入った部員ばかり。昨秋から新マシンの設計を始めた。億単位の予算のチームもあるが、名工大の製作費は約一千万円。スポンサーや専門家の助けも借りながら、故障がない高性能の車を目指した。授業や実験との両立が厳しく、作業は深夜に及ぶことも。それでも本体の型作りから始め、樹脂を固めては削り、電気関係も整え、約九カ月間かけて部員の手で作りあげた。

 大会ではマシンの運転は学生が務め、裏方の大人も含めて約三十人が偵察車や先導車などに分乗。午前八時から午後五時まで、広い空や地平線、山の岩肌を眺めながら南を目指した。「自分たちの作った車がきれいに走る姿に感動した」と原田さん。夜はテントを張りキャンプした。「いつか先輩たちのようになる」と誓いながら、一年笠原智佐子さん(18)らは食事も準備。肉を焼き、スープを作り、満天の星も楽しんだ。

 ソーラーカーは太陽の光を動力にするため、天候に左右される。フル充電すれば時速七十五キロで五時間走るが、二日目夕方から空は一面の雲に覆われ、発電量はいつもの約二割に。三日目には短い晴れ間で三十分間、走行をやめて充電も。刻々と変化する電気残量や天気をにらみながら走行戦略を練った。

 脱落するチームが続出したレース後半は、時間との闘いに。天気は回復したが、速度を上げたため電気残量は何度もゼロ近くになった。マシン運転役の二年木村勇介さん(19)は「下り坂はアクセルを回さないので充電しながら気持ち良く走れた」。最終日の七日目、黄金色の小麦畑を横目に時速約八十キロで飛ばし、制限時間ギリギリでゴールした。「ピンチの連続でつらかったけど完走できて本当に良かった」。田中さんらは近くの噴水に飛び込み、喜びを爆発させた。

 部の副顧問の城ノ口秀樹さん(61)は「学生たちが懸命に努力してきたからこそ大人もサポートした」。BWSCを目指すきっかけをつくり、一年生と共に日本から気象データを送り続けた大学院生中村彰伸さん(25)は「ハラハラしたけど悪天候の中で前回から順位も上げ、感動した。いつか優勝できる部に育って」とエール。原田さんは「難しいレースでチームが成長できた。入賞できず悔しさもあるが、一、二年生は『次こそは』とやる気になり、後につながるいい大会だった」と後輩に夢を託した。

 (芦原千晶)

◆ソーラーカー部の歴史

1992年 名工大で太陽電池を研究していた梅野正義・現名誉教授、中部大客員教授の呼び掛けで、学生のソーラーカー研究団体が発足

  95年 名工大ソーラーカー部に

2003年 「ホライゾン03」が「ソーラーカーレース鈴鹿」クラス10位

  14年 専門家らの助言も受けて中村彰伸さんを中心に製作した「ホライゾンZ」が、鈴鹿クラス準優勝

  15年 「ホライゾンZ」がBWSC16位、完走

  17年 「ホライゾン17」がBWSC12位、完走

2003年の「ホライゾン03」

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2014年の「ホライゾンZ」

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