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高校生・大学生

広報職員、舞台裏で奔走 ノーベル賞発表

◆祝賀垂れ幕や会見準備

名古屋大と名城大のロゴがあしらわれたパネルの前で記者会見する赤崎勇さん(左)と天野浩さん=2014年10月10日、名古屋市千種区の名古屋大で

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 ノーベル賞の各賞の発表が、あす二日から始まる。最近は日本人が受賞することも多く、大ニュースとして報道されるが、スポットライトを浴びる受賞者の傍らでは、大学の広報職員も黒子として奔走してきた。舞台裏を教えてもらった。

 ノーベル賞の発表は、夜にある。二〇一四年十月七日午後六時四十五分、名城大(名古屋市)の会議室。当時広報課の職員だった小山達也さん(39)は、約六十人の報道陣とノーベル財団のライブ中継を見ていた。

 名城大には青色LEDを開発し、長くノーベル物理学賞の候補と目されていた赤崎勇・終身教授(88)が在籍。発表の一分後には「残念だったね」と、集まった報道陣らと解散するのが常だったが、この日は違った。

 「イサム・アカサキ」。報道陣のどよめきと拍手、そして一斉にパソコンをたたく音。広報課の電話は鳴りやまず、メールも続々来た。「ついに受賞!と思ってからは興奮状態。以前名城大にいた天野先生との共同受賞もうれしくて」

 殺到する取材や講演依頼への対応、スウェーデンでの授賞式出席の随行…。赤崎さんに寄り添う多忙な日々は半年に及んだ。「赤崎先生の体調を考慮しながら、速く正確に情報を発信しようと頑張るうち、賞のすごさに押しつぶされそうな時もあった。授賞式の後、先生にねぎらっていただいた時はホッとして感激もしました」

 受賞が取りざたされる研究者を抱える大学の広報担当者は、発表前から忙しい。政府やマスコミの問い合わせに応じ、受賞時の資料からお祝いの垂れ幕まで用意する。名城大には現在も、候補者といわれるカーボンナノチューブを発見した飯島澄男・終身教授(78)や、リチウムイオン電池を開発した吉野彰教授(69)がいて、今年も九月から準備に追われた。

ノーベル賞の発表を前に垂れ幕などを準備する職員=名古屋市天白区の名城大で

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 「労力はかかるけれど、効果は計り知れない」。そう話す樋口義博・現広報課長(39)は一四年当時、入試の担当だった。それまで全国的な知名度は必ずしも高くなかったが「どこに行っても赤崎先生のいる大学と認知され、歓迎された」。翌年度の入試出願者数は過去最多になった。

 〇八年に益川敏英教授(77)がノーベル物理学賞を受けた京都産業大(京都市)。名前の挙がった研究者には珍しく、益川さんはそれまでの数年も、発表時に大学で待機し報道陣にも対応。広報担当者の依頼を受けてのことだった。当時広報室長だった井上正樹さん(56)は「〇八年の発表直前、先生の研究室に向かうと、待機していたスタッフが手でマルと合図してくれ、いよいよ始まるぞと思いましたね。一生に一度の体験で広報冥利(みょうり)に尽きる日々でした」と振り返る。

 広報担当者は卒業生や元教員の受賞にも対応する。〇一年の野依良治・特別教授(79)を皮切りに六人の受賞者を出した名古屋大(名古屋市)。〇八年は共に名大卒の益川さんと小林誠さん(73)が物理学賞、元助教授の下村脩さん(89)が化学賞と三人が栄誉に輝き、名大フィーバーも起きた。

 「受賞者が出るたびに職員の経験値が上がった」と広報係の峯田典幸さん(37)。一四年の発表時、受賞が決まった天野浩教授(57)は海外にいて不在だったが、ゆかりのある研究者らの会見を開くなど臨機応変に対応できたという。帰国後、名大特別教授でもある赤崎さんとの共同会見では背景にも工夫。大学の知名度を上げるよう、名大と名城大のロゴを組み合わせたパネルを急きょ発注、二人の後ろに設置してみせた。

 他の大学の広報担当者から、問い合わせも受ける。「どの先生が受賞してもよいように、略歴やホームページに載せる文を事前に準備し、学長や関係者の予定も押さえています」。今年もその時を待っている。

(芦原千晶)

 

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