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舌はないけど

(9)職場復帰 理解、励ましあったから

 念願だった職場復帰を果たせたのは、二〇一六年七月のことでした。

 当時の私の勤務先は、岐阜県高山市のホテル。お客さまとやりとりをするフロントの仕事でした。手術で舌を切除すれば、もうフロントとして働くことができない。解雇されても仕方ないと思っていたのですが、上司から「話せなくてもできる仕事はあるから、ちゃんと治して戻っておいで」と言われ、その言葉を胸に頑張ってきました。

 パソコンと向き合う部署になり、復帰初日からフルタイムの勤務。私の滑舌の悪い話し方を、周りはすんなり理解してくれて、会話にストレスを感じることもなく、元気に初勤務を終えました。

 アパートに戻ったら、フロント勤務の先輩から「Aさんがいらっしゃって、お菓子をいただいたよ」と電話。Aさんは常連のお客さまで、私も親しくさせていただいていたのですが、この日の宿泊予約はなし。びっくりして職場へ戻ったら、Aさんはもう帰られた後で、タイの形をした大きなアップルパイが。添えられた手紙には「あなたの頑張りに感動しました。これからも温かいおもてなし、お願いします」と。

 涙が出ました。入院中にも「病気と闘うのではなく、共存するんだよ」と励ましのメッセージをいただいていました。退院後、復帰前の打ち合わせで職場に行った時にたまたまお目にかかり、私の復帰日を知って、遠路を日帰りでわざわざ届けてくださったのです。

 「めで鯛(たい)」という名のアップルパイを、スタッフみんなで分けました。まだほとんど食べられなかった私も、家でミキサーにかけていただきました。今も忘れられない味です。

 その後も、楽しく働き、同僚といっぱいおしゃべりをする中で、話す力、食べる力が戻ってきました。入院中に大幅に減った体重を増やす必要があり、甘すぎる栄養剤に無糖コーヒーを混ぜて飲みながら、仕事を続けました。

職場の休憩時間。甘すぎる栄養剤に無糖コーヒーを混ぜて味を調える=岐阜県高山市で

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 振り返ってみると、がんと分かったときに職場にすべてを話したことが、復帰への出発点でした。私のできること、できないことを把握して、勤務内容を考えていただいたし、私自身も病気を客観的に受け止め、治療に向かう覚悟ができました。情報の共有が大事だと、つくづく思います。

 あらい・りな 1974年生まれ。岐阜県在住。2015年に腺様嚢胞(のうほう)がん(ACC)で舌を切除。闘病とリハビリを続けている。

 

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