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舌はないけど

(3)闘病の始まり 家族の支えで前向きに

 下あごの痛みを自覚するようになったのは、三十代半ばのころでした。

 初めのうちは、痛み止めを飲めば治まる程度。若いころにかかった顎(がく)関節症の名残だろうと思っていたら、四十歳の夏に痛みが激しくなり、夜も眠れずのたうち回るほどに。うまくしゃべれずに舌をかんだり、ご飯をポロポロとこぼしたりするようになり、鏡で口の中を見たら、舌の左半分が腫れていました。

 地元の病院から紹介された総合病院で、口腔(こうくう)外科から耳鼻科へ回され、さまざまな検査を受けた末、腺様嚢胞(のうほう)がん(ACC)という珍しいがんであることが分かりました。通常、ACCは進行が穏やかなのですが、私の場合は左の舌下腺(唾液をつくる器官)に五センチもの腫瘍があり、舌の神経を巻き込んで舌の左半分がマヒしていたのです。

手術に向け髪をカットしたころ。左ほおが腫れている=2015年8月、岐阜県下呂市で

写真

 「うちでは手術ができないから、大きい病院で」と言われ、受診したのが岐阜大病院(岐阜市)。担当医は、丁寧に説明をしてくれました。「マヒした左半分は仕方ないけど、舌の右側は少しでも残せませんか」と質問したら「再発転移の恐れもあるので、十分に安全範囲を確保する必要がある」と説明され、納得できました。「舌はなくてもご飯は食べられますか」と尋ねたら「うーん」と明確なお答えはありませんでした。

 そのころの私は、激しい痛みで心身ともに疲れ果てていて、ここで早く治療を始めたいという思いでいっぱいでした。でも、両親や妹は「もっといい方法があるかもしれないから」と、この分野のがんに強い愛知県がんセンター中央病院(名古屋市千種区)でセカンドオピニオンを求めることを勧めました。

 あまり気の進まないまま、受診したのですが、その日のことは今もはっきりと覚えています。

 院内で出会う方たち、若くておしゃれな女性も目につき「この人たち、みんながんなんだ。患者さんって、こんなにたくさんいるんだ」と思ったら、何だか孤独感が消えて、前向きな気持ちになれました。治療については、岐阜大病院と同じ内容でしたが、症例が多い分、医師の説明が具体的で、食事についても「やわらかいものなら食べられるようになるよ。三十代なら大丈夫だよ」。そのとき、四十歳だったんですけどね。

 この中央病院が、私の治療拠点となりました。あのとき、家族が私のために一生懸命に動いてくれたことが今の私につながったと感謝しています。 (次回は十五日)

 あらい・りな 1974年生まれ。岐阜県高山市在住の会社員。2015年に腺様嚢胞がんで舌を切除。闘病とリハビリを続けている。

 

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