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医療

ルポルタージュ’18 動けぬわが子に成人式を

遷延性意識障害で在宅療養

愛知・瀬戸の赤林さん 車いすで外出訓練

愛知県瀬戸市の赤林広武(ひろむ)さん(20)は二〇一一年七月、当時通っていた市内の中学校の前で車にはねられ、脳に重い損傷を受け「遷延(せんえん)性意識障害」と診断された。意識は回復せず、人工呼吸器を付け、寝たきりの状態だが、事故直後の危篤状態を脱し、一六年三月から自宅で療養を続ける。意思疎通はできないままだが、時折、声をかけると体を動かすことも。ささいな変化、反応に両親は希望を見いだしている。 (出口有紀)

 「ここにありそう。手触りが違う。がさがさする」。十一月下旬、ベッドで左半身を下にした広武さんの背中をさすりながら、母親の博美さん(51)が、吸引で取り切れなかったたんがありそうな場所を探っていた。

家の周囲で、訪問看護師たちと、成人式での外出に向けた訓練をする赤林広武さん(中央)。左は母の博美さん=いずれも愛知県瀬戸市で

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 寒くなり、空気が乾燥するこの時期、自分ではせきができない広武さんのたんは、吸引しても十分に取れず、固くなることがある。たんを出すための薬を再度使うかどうか、訪問看護師と話をしていると、その横で広武さんが首を振った。話が聞こえているのか、定かではないが、そのわずかな反応に博美さんの表情は緩む。「やらないと、あとあと大変だよ」。広武さんにそっと話しかけた。

成人式に着るスーツを広武さん(左)に当てて、ネクタイとのコーディネートを確認する博美さん

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 博美さんは、一六年十一月、広武さんが肺炎にかかったときのことが頭から離れない。自宅療養を始めて八カ月後。広武さんの血液中の酸素濃度を測る機器の値が急に下がり始めた。瀬戸市のかかりつけ医の野田正治さん(66)に電話すると「すぐ救急車を呼んで」。広武さんは救急車で市内の病院に運ばれ約一カ月間、入院した。「いざというとき、病院ではナースコールを押せるが、家ではそうはいかない」と博美さん。自宅療養の難しさを実感した。

 広武さんは一一年七月、瀬戸市内の中学校の正門前の横断歩道で事故に遭った。当時、中学一年生でバスケットボールの部活から帰宅する途中。車に飛ばされ、頭や全身を強く打ち、市内の病院に運ばれた。右手と左足を骨折し、出血が止まらない。一時、危篤状態となったが持ち直した。それでも自発呼吸は難しく、人工呼吸器を取り付けたまま、二週間後に集中治療室(ICU)から一般病室に移った。

 広武さんは呼吸などをつかさどる脳幹の機能などにダメージを受け、担当医からは「生きていること自体が奇跡」。しかし約一カ月後、弱いながらも自発呼吸ができていることが分かった。見舞いに来た知人から声をかけられると肩を動かしたり、足をくすぐると指を動かしたり。わずかに見せる反応に、父親の寛隆さん(49)は期待を寄せた。「広武には周囲の話し声が聞こえている」。医師や看護師からは「反射の動きで、自分の意思ではない」と言われたが、寛隆さんはそう信じ続けた。「親の欲目かもしれないが」

 広武さんは一二年秋、遷延性意識障害を専門に扱う藤田医科大病院(愛知県豊明市)に転院。三年半の入院生活をへて自宅に戻った。事故から四年八カ月がたっていた。

 平日はヘルパーや看護師が訪れ、定期的な体位交換や尿、便の量を測って記録表に記入したり、たんの吸引をしたり。博美さんも一緒に介助し、看護師らが訪れない週末は、寛隆さんと交互に世話をする。

 自宅療養を始めてから、入院中は猫っ毛で茶色だった広武さんの髪が、次第に本来の黒くて太い髪に戻っていった。「毎日、家のにおいがして、生活の音がする。それで元気になったのかな」

 今の望みは、来年一月十三日の成人式に広武さんを参加させることだ。広武さんは事故以降、めったに外出することはなかったが、十月下旬から、訪問看護師らの力を借りながら、週一回ほど外出。家の周りを車いすで回っている。長時間の着席、外の環境に体を慣れさせるためだ。

 たっぷりの日差しがそそいだ十一月中旬、二十分ほどの外出から戻った広武さんのほおを博美さんがいとおしそうになでた。「顔色がいいね」

 成人式の会場では、かかりつけ医の野田さんが待機し、万が一の事態に備えるという。ICUから一般病棟、そして在宅療養へ。目標は少しずつかなえてきた。「今でもあきらめてはいない。少しでも状態がよくなれば」。目尻の涙をぬぐい、前を向いた。

意識回復めざす病院

高度医療、在宅でも可

広武さんが転院した藤田医科大病院では一九八〇年代後半から、遷延性意識障害の患者の治療を続ける。生命維持にとどまらず、意識回復も目的だ。

 

 主治医で同大教授森田功さん(52)は広武さんの人工呼吸器を外すことを目指し、頸部(けいぶ)にある横隔膜を動かす神経を電気刺激し、空気を吸い込む動きをさせる装置を付けた。「広武さんは外せなかったが、脊髄損傷の患者で完全に外せた人もいる。患者の中では肺炎を発症した例はほとんどない」と話す。

 三年半にわたる入院で、広武さんが在宅療養するためのノウハウも積み上げてきた。広武さんは脳内でホルモンを分泌、調整する機能も破壊されたため、薬で調整する方法、体位の変え方などを確認した。

  退院する際も病院側、在宅療養側のスタッフが問題点を話し合った。かかりつけ医の野田さんは「在宅では高度な医療を提供するのは難しいと考える人は多いが、スタッフや家族の連携でたいていのことはできる」。病室のように一定の温度を保てない分、博美さんら家族も部屋の床や窓の下側に保温シートを敷くなど、工夫を重ねてきた。

 森田さんは「広武さんは今の医療で治すことは難しいが、脳細胞が生きていることは間違いない。人工多能性幹細胞(iPS細胞)などを使い、失われた機能を回復させる治療が可能になれば、生きている間に恩恵にあずかれる可能性もある。今は体を健康に保つことが大事」と話している。

 

 【遷延性意識障害】交通事故や病気で脳が損傷して起こり、以前は植物状態とも言われた。寝たきりで意思疎通ができず、手足は動かせず、生活全般に介護が必要で、自発呼吸が難しい人もいる。脳全体の機能が失われる「脳死」と混同されることもあるが、回復の可能性があり、元に戻ることはない「脳死」とは区別される。

 

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